【名鉄広見線新可児駅・御嵩駅】木曽川に沿って中山道の宿場町へ

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ここはかつて賑わった宿場町近くの終着駅。日本の大動脈だった街道の宿場町とは思えぬ静かな時間が流れ続ける・・・

名鉄広見線御嵩駅、中山道の宿場町の1つ「御嶽宿」として発展した町に位置しています。しかし現在町の外につながる交通機関は、30分に1本だけ訪れる名鉄広見線の列車のみとなっています。

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名鉄広見線の終点は新可児にあらず・・・

愛知県犬山市の代表駅、犬山駅。名古屋や岐阜へのベッドタウンである他、モンキーパークや明治村、そして木曽川のライン下りへ向かう際の最寄り駅でもあります。

犬山駅は、愛知県北部地域における名鉄のターミナル駅でもあります。名古屋および新鵜沼や岐阜へ向かう犬山線、小牧を経由して上飯田および平安通へ向かう小牧線、そして新可児へ向かう列車が、今回紹介する広見線です。

まずは名鉄広見線の新可児へ向かいます。ご覧の通り複線ではありますが、日中は1日4本の運航となっており、1本のみ走行中に行違うだけでした。風景も田園と森林をかき分けていくように進みます。

新可児駅到着直前の状況です。新可児駅は途中駅のはずですが、終着駅のような車止めがあるホームに止まります。ちなみに右側に見えるのは、乗換駅でもあるJR太多線の可児駅です。名鉄広見線とは異なりJR太多線は非電化のため、ホームに気動車が停車しています。

こうして名鉄広見線の途中駅、新可児駅に到着します。この電車は折り返し、犬山・名古屋・中部国際空港方面へ向かう列車となります。新可児からさらに御嵩方面へ向かうには、左側奥に写っている御嵩行きの列車に乗り換える必要があります。

可児・広見から御嵩の町へ、ローカル線の旅

まずこちらが名鉄広見線の新可児駅(しんかに)JR太多線の可児駅(かに)も隣接する可児市の代表駅です。元々は旧広見町の代表駅の広見駅・新広見駅という名前でしたが、合併によって可児市が誕生し可児駅・新可児駅に改称されました。しかし路線名は、名鉄広見線という名前のまま残されています。

新可児駅にあった行灯式の案内板です。御嵩方面は1番線、犬山方面は2・3番線から発着することがわかります。このランプ式の案内板は名鉄唯一の生き残りでしたが、LED化によって2019年に撤去されました。晩年はダイヤ改正によって運航されなくなった各務原線に直通する名鉄岐阜方面の案内が消灯されており、ランプを使った乗り場案内の意味が無くなってしまった状態でした。

こちら1番線に止まっているのが、新可児から御嵩の区間で運行される列車です。特徴的なのが、列車前面にある「新可児↔御嵩」という大きい行き先表示板です。新可児から御嵩の区間は、日中は30分ごとの発着でこの1つの列車だけが往復する運航となっています。

車内はこのような感じです。名鉄6000系と呼ばれる列車を、車掌なしで運行可能にしたワンマン列車として改造しているものです。写真は乗客がいない時を狙ってはいますが、実際乗客は少ないです。

車内にあった運賃表です。ここに記載されている通り、このワンマン改造された列車は広見線の新可児から御嵩の区間の他、蒲郡線でも使われています。これらの区間は運転手による車内精算が行われており、ICカード「manaca」は利用できません

新可児を出発すると、単線が延々と続く区間となります。写真は出発して最初の駅でもある明智駅です。中山道伏見宿の入口という意味で「伏見口駅」でしたが、近くにある明智光秀で有名な明智城址にちなんで1982年「明智駅」に改称されました。さらに明智駅から八百津へ向かう八百津線という路線も分岐していましたが、2001年に廃線となっています。

明智・顔戸・御嵩口と続いて、ようやく終点の御嵩駅に到着します。ホーム1つと奥に車止めという、純朴たる終着駅スタイルです。犬山駅から続いた名鉄広見線の線路も、ここで終わります。

ここが名鉄広見線の終点、御嵩駅です。到着したこの列車は息つく間もなく、5分程で新可児方面へ引き返します。運転士が1人黙々と急いで折り返し作業をします。

中山道の宿場町と赤い列車の終着駅

こちらが御嵩駅の駅舎です。三角屋根を組み合わせた風情ある駅舎です。合理化によって無人駅にはなっていますが、かつての駅事務室が観光案内所として利用されています。

御嵩駅前には「御嶽宿さんさん広場」というロータリーがあり、その中でも面白いものがセラミックボールを使った足湯ならぬ「足癒」があります。ご覧のようにふたを開けるとセラミックボールが敷き詰められた入れ物があり、そこに足を突っ込んで温浴効果・・・という仕組みらしいです。

御嵩駅周辺の地図です。御嵩駅は、御嵩町の中心部に位置しています。御嵩町を東西に貫いているのは、旧中山道でもある国道21号線です。2005年には東海環状自動車道の可児御嵩インターチェンジも開通し、周辺の道路事情は大変便利になっています。

こちらは、御嵩駅の目の前にある御嵩町の観光案内図です。町は東西方向に広く、「御嶽宿」及び「伏見宿」という2つの宿場町を持っています。北にある八百津町には「東洋のシンドラー」とも呼ばれ杉原千畝記念館もあります。

さらに拡大してみてみますと、御嵩駅周辺には御嶽宿に関連した施設が多くあることがわかります。お気付きかと思いますが、宿場町は御宿、駅名は御駅となっています。

御嶽宿わいわい館と、遠方に見える御嵩駅駅舎です。そして真ん中を通る道路が国道21号、日本橋と京都を内陸部で結んでいた中山道でもあります。御嵩の町を巡れば、江戸時代の旅人が行き交った雰囲気を味わえるかもしれません。

訪問後記

中山道の宿場町としても有名な御嵩町や八百津町、そこを結ぶ名鉄広見線および八百津線は、周辺で採掘されていた石炭の運び出しによる貨物輸送が盛んな路線でした。しかし貨物輸送の廃止も相まって利用客は減少の一途をたどります。そして2001年には、広見線の兄弟にも等しかった八百津線が廃止されます。

しかし八百津線が廃止された後も、広見線の乗客は減り続けました。2007年は新可児から御嵩区間の廃止も検討されましたが、可児市と御嵩町が赤字を補填して運航を維持している状態が現在も続いているのです。

事実上自治体の援助によって廃止を免れている新可児から御嵩の区間、2008年には合理化の一環として導入されたのが、写真にある2両編成のワンマン列車です。新可児から御嵩の間は、この電車1編成だけが30分ごとの往復を繰り返す運航となっています。

その結果、広見線は完全に新可児駅を境に分断されました。かつてはスイッチバックをしてでも中部国際空港行きの列車が御嵩まで乗り入れていましたが、現在名古屋方面へ向かう列車は御嵩に向かうことはなく、全て新可児で引き返すことになっています。

宿場町の賑わいも夢のあと・・・赤い列車が訪れるこの風景は、あといつまで続くのでしょうか・・・