果てしない直線状のトンネルの向こうから、トロリーバスという電車がやってくる。電力を届けるべく7年にも及ぶ戦いの軌跡がここに・・・。
「関電トンネル」・建設時旧称「大町トンネル」、長野県の大町扇沢から富山県の黒部ダムへ飛騨山脈を貫く全長5.4kmのトンネルです。2018年までは無軌条電車と呼ばれた関電トンネルトロリーバスのための鉄道用トンネルでした。
トロリーバスという鉄道
黒部渓谷にそびえる黒部ダム。戦後の発展による電力不足に悩まされた関西電力が、社運をかけて建設された日本最大級のアーチ式のコンクリートダムです。黒部ダムは安定的な電力供給という本来の目的を果たしているだけではなく、その壮大な景観による観光地化にも成功しています。
長野県信濃大町から富山県立山をつなぐ「立山黒部アルペンルート」、黒部渓谷や飛騨山脈、そして立山連峰を直線的に横断する交通ルートです。排気ガスから自然を守るため、自家用車は一切入ることができません。そのため立山黒部アルペンルートの移動手段は、関西電力および立山黒部貫光が運航する交通機関となります。
そして立山黒部アルペンルートの中には、「トロリーバス」を使った交通機関があります。トロリーバスは架線から受け取って電気で動くバスのことで、実質線路がない電車となります。そのため法律上無軌条電車とも呼ばれる鉄道の扱いとなるのです。トロリーバスは1960年代まで東京を含めた市街地でも見ることができましたが、2018年当時の日本には、立山黒部アルペンルートにある関電トンネルトロリーバスと立山トンネルトロリーバスの2つしかありませんでした。
関電トンネルは、トロリーバスの運航ルートのほぼ全線を占めるトロリーバスのための鉄道用トンネルでした。しかし関電トンネルトロリーバスは電気バスへの転換の為、2018年を最後に運航を終了しました。
黒部の太陽は、大町から登る
大糸線信濃大町駅。立山黒部アルペンルートの出発点でありますが、大糸線自体もこの駅を境に列車の数が変わる重要な駅です。ちなみに大糸線は松本・糸魚川を結ぶ路線ですが、大糸線の大は「信濃大町」からとられています。
そんな信濃大町駅から始まる立山黒部アルペンルート1番目の交通機関、扇沢駅行きのバスに乗ります。1日15便ほど運航しており、基本大糸線の信濃大町駅の列車発着に合わせて発車時刻が組まれています。この日は11月上旬とあって、樹木の外側が色づき始めていました。
バスに揺られること40分、自然な風景が続いた後に、突然山間を切り開いたような広場にたどり着きます。そこには駐車場と山の間に挟まったコンクリート上の幅広い建物があります。
バスはそのコンクリートの建物の前で終点となり、乗客はここで降ろされます。こちらが扇沢駅という施設名です。「駅」とは言いますが、バスの終点である山の入口のようなところで降ろされても鉄道の雰囲気も感じられないような場所です。
しかし駅前の看板を見ると「関電トンネルトロリーバス扇沢駅」と書かれています。トロリーバスと書かれている以上、立派な鉄道の駅です・・・。ちなみに左下に「標高1425m」と書かれていますが、これはJR小海線野辺山駅付近にあるJR最高地点1375mよりも高い位置となります。
トロリーバスまでの道・・・道中美味しい誘惑も♡
扇沢駅は3階構造となっており、2階に改札口と待合室があります。この写真を撮影したときは出発時刻直前だったために人一人いない状態でしたが、改札時間前は写真一面人の行列となります。改札に並ぶ前に2階にはいろいろな見どころが随所あります。改札は出発時刻7分前にならないと開かないようになっています。
そんな列車待ちならぬトロリーバス待ちの乗客ににじり寄ってきたのは・・・「信州サーモンの笹寿司」と「黒部の黒豚めし」の駅弁売りです。まだ8時台ですが、すぐに売り切れてしまうほど有名・・・これから標高が高い所へ行くにつれて、食事の値段も高くなる・・・この話術に乗るかどうかはあなた次第ということ。(ただし実際黒部ダムや立山エリアにあるレストランは、確かに値が高いです。)
そんな誘いもありますが・・・出発時間7分前になると改札が開きます。改札を済ませると3階への階段を上り、トロリーバスの乗車ホームに入ります。乗車ホームには既にトロリーバスが待機していました。
トロリーバスに乗ると、このような前の風景が見ることができます。見ての通り運転台はハンドル、線路ではなくアスファルト・・・架線があることを除き鉄道とは言い難い風景です。扇沢駅について詳しい情報は、以下のページをご覧ください。
破砕帯と県境、そして信号所
扇沢駅の出発ホームから黒部ダムの方向を見てみます。トロリーバスは右の方向へ上り、関電トンネルに入るルートになっています。そして鉄道の証、出発信号機がちゃんとありました。
関電トンネルの入口です。ここから飛騨山脈を貫く扇沢と黒部ダムを結ぶ関電トンネルは、14分ほどの旅となります。関電トンネルは入口区間を除き、黒部ダムに向かって一直線に走ることになります。なおトンネルの幅はバス1台分しかないため、実質単線の鉄道と同じでした。
トンネルに入って5分ほど走ると、青いライトがあてられた区間が現れます。青い看板には「破砕帯」と書かれています。今では1秒足らずで通過できるこの区間ですが、建設当時は突破するのに7か月も費やしたそうです。この区間は建設中毎秒660Lもの地下水が突然噴出し、黒部ダムの建設自体も危ぶまれるほどでした。
直線に延びるトンネルの中を順調に飛ばしていたトロリーバスですが、この空間の手前で突然スピードを落とします。関電トンネル唯一行き違いが可能な信号所です。
信号所は黒部ダム駅よりに設けられており、扇沢駅を出発したトロリーバスが先に信号所に到着し、数分後にやってくる黒部ダム駅を出発したトロリーバスの通過を待つ運用がほとんどでした。
黒部ダム駅を出発したトロリーバスがやってきました。最後尾のバスが通過が終わると信号が開通となり、黒部ダムへ向かって再びバスは出発します。
そしてここは黒部ダム駅のホーム・・・線路がないのに架線という見慣れぬ風景ではあります。
トロリーバスが到着すると、駅員こと鉄道員が総出でお出迎えします。そのままトンネル状の通路を10分ほど歩くと駅の外に出ると、黒部ダムの景色が広がるようになっています。
黒部ダム駅は、写真目の前にある飛騨山脈の一角、鳴沢岳の中にすっぽりと入っています。黒部ダム駅について詳しい情報は、以下のページをご覧ください。
くろよんは7年に成らず
黒部ダム駅出口脇にある黒部ダムレストハウス。ここでは食堂や土産物店の他にも、黒部ダムや関電トンネル建設における沿革を知ることができます。
2階には黒部ダムの建設の他、関電トンネルの建設の資料映像が放映されています。つい先ほどまでバスで15分で通過したトンネルとは思えないほどの、難工事の数々が記録された内容がかなり濃いものです。
関電トンネルについて、詳しい案内板がありました。手前右にいる人物は、建設当時の関西電力の社長、太田垣社長です。
最大の難工事「関電トンネル」(大町ルート)
関電トンネルでは大破砕帯にぶつかり、突然噴出した大量の水に手のつけようもなく呆然と見守る作業の人々・・・。しかし、太田垣社長の決断のもと、関係者日夜の努力が続けられ、この難関を突破し、大町市とダム地点を直結するくろよん建設資材の大量輸送の決め手「大町ルート」が完成しました。
黒部ダムの建設は5つの工区に分かれて建設が行われていました。それぞれの工事内容や建設会社は以下の通りです。このような気の遠くなるような内容の工事でありながら、7年で完成に至ります。
- 第一工区:間組:黒部ダム本体
- 第二工区:鹿島建設:扇沢・高瀬川整備およびダム資材
- 第三工区:熊谷組:大町トンネル
- 第四工区:佐藤工業:黒部トンネル
- 第五工区:大成建設:黒部川第四発電所とインクライン施設
50年目の夜明けと最期のトロリーバス
2018年のトロリーバス最後の年は、同時に「黒部の太陽」放映50周年でした。三船敏郎や石原裕次郎演じる「黒部の太陽」は、世紀の難工事とも呼ばれた黒部ダムや関電トンネルの建設ドキュメンタリー映画です。
2018年黒部ダムにある特設会場には、「黒部の太陽」の紹介と併せて関電トンネルの建設当時を模した特別展示がありました。1964年8月1日に黒部ダムへの観光路線として開通した関電トンネル、開通前は「大町トンネル」とも呼ばれ、黒部ダムを建設するための資材ルートとして大きな役割を果たします。
関電トンネルの建設は、破砕帯とも呼ばれる区間で発生する大量出水との戦いでした。特に冒頭でも紹介した80mの大破砕帯とも呼ばれる区間は、毎秒660L、家庭用風呂毎秒4杯分の水の束が作業員に襲い掛かり、死者を出してしまうことになります。
「黒部の太陽」においても破砕帯の苦難を再現した映像があります。それは大型の水槽から放流される大量の水を背に演者が冗談抜きで逃げまどう姿を撮影するというまさに体当たり演技・・・、石原裕次郎を含めた出演者が負傷してしまうほどでした。
黒部ダム脇にある慰霊碑「尊きみはしらに捧ぐ」。関電トンネルを含めた黒部ダム建設事業によって、171人が犠牲となりました。黒部から生み出される電力や風光明媚な景色は、かつてここで身を挺して作業した人々によって成り立っているのです。
かくして黒部ダムの建設事業は成功、大町トンネルは資材輸送ルートの役割を終えることになります。そして1964年8月1日に関電トンネルとしてトロリーバスの鉄道用トンネルのとして再出発します。無軌条電車とも呼ばれるトロリーバスは鉄道の規則で運航され、2018年に廃止される54年間無事故を貫くことになります。
訪問後記、そしてもう1つのルート誕生へ
2019年4月、54年にも及ぶトロリーバスの運行は終わりを告げ、電気バスとして再出発します。鉄道としては廃止となりますが、安全運航のための独自ルールとして鉄道による施設や運営方式はある程度残るかもしれません。さらに2024年に関電トンネルに加えてもう1つ新たなルートが解放されます。
いままで黒部ダムを訪れるためのルートは、関電トンネルを含めた「立山黒部アルペンルート・関電トンネル」のルートが唯一でした。ところがこの地図を見てみると、全く別のルートが黒部ダム駅から黒部渓谷方面へ伸びています・・・。これは「黒部ルート」と呼ばれており、富山渓谷鉄道の宇奈月温泉~欅平を始点として第4黒部発電所を経由して黒部ダムに至るルートです。
黒部ルートの一部でもある「黒部トンネル」は今回紹介した関電トンネルと同時に建設され、黒部ダムから発電所を結ぶトンネルです。黒部ダム完成後にトロリーバス開通によって一般開放された関電トンネルに対して、黒部ルートは関西電力の関係者しか利用できません。黒部ルートへの立ち入りは「黒部ルート見学会」への申し込みによる抽選制となっています。
この黒部ルート見学会は平日のみという形でしたが、2020年度から土日にまで参加者を拡大し、そして2024年から旅行会社を通じた一般向けツアーという形で解放される予定となっています。そんな私は参加したことがあるかといえば、第4黒部発電所の資料写真を載せていることからお察しください。しかし史上最大にツキがない私も助かります。
2018年11月、トロリーバスは最後の運用となりました。しかし2019年からは新しい電気バスによって、黒部ダムへ向かう乗客を送り届けています。写真は関電トンネルの中にある黒部ダム駅に待機するトロリーバス300型です。トンネルの中で架線を響かせつつ出発するその姿は、バスの姿でありながら鉄道であることを伝えてくれる風景でした。
ここ関電トンネルに新しい流れが起きようとしています・・・。