【JR常磐線原ノ町駅~相馬駅】東日本大震災によって孤立した飛び地路線

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東日本大震災によって、常磐線の南側は原発事故、北側は津波による線路流出でばらばらになりました。そんな中、わずか4駅であっても孤高に運航を続けた区間列車がありました。再び1つの常磐線として走るその日まで・・・。

常磐線原ノ町駅相馬野馬追像
今回紹介するのが常磐線「原ノ町」~「相馬」間わずか4駅の飛び地路線です。原ノ町と相馬は震災前から特急「ひたち」が停車していたほどの常磐線でも主要の駅です。しかしこの4駅は東日本大震災の常磐線分断によって、前後が代行バスでしか接続されておらず、他の鉄道路線に全く接続しない珍しい孤立区間となっていました。なおこの訪問は2016年5月当時のものです。この半年後、2016年12月に相馬駅側が復旧して孤立区間はなくなります。

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孤立路線の管理駅

常磐線原ノ町駅代行バス
2016年当時、常磐線は以下の運航体系となっていました。

  • 品川・上野~竜田      :列車運行
  • 竜田~原ノ町        :代行バス(1日2便のみ)
  • 原ノ町~相馬    :列車運行
  • 相馬~亘理         :代行バス
  • (浜吉田)~亘理~岩沼・仙台 :列車運行

上の写真は当時1日2便しか運航されていなかった、原発被災区間を運航する代行バスです。原ノ町・相馬駅は、両端が代行バスでしか向かうことができない状態でした。これからの話は、代行バスで原ノ町駅に到着したところから始まります。

常磐線原ノ町駅駅舎
常磐線の原ノ町駅です。2階建て駅舎の立派な建物がありました。南相馬市の代表駅であり、かつて上野へ向かう特急「ひたち」の発着列車もありました。しかし2016年当時、上野からは1日2便しかない代行バスを経由しなければ行くことができませんでした。

常磐線原ノ町駅跨線橋
原ノ町駅の構内です。側線が多くあり、鉄道の要所であることがうかがえます。一番左側の1番線側を除き、線路がさび付いていました。なお右側には列車の整備ができる施設がありました。この施設によって、孤立していてもある意味1つの鉄道会社レベルの運航ができました。

常磐線原ノ町駅駅舎内部
原ノ町駅駅舎の中です。正面にみどりの窓口兼「びゅーぷらざ」がありましたが、震災によって営業をやめていました。また上野方面行きの案内も、代行バスを含めて案内されていませんでした。


相馬からの列車が到着しました。701系と呼ばれる2両編成の電車です。この区間を復旧させるため、わざわざ陸送したそうです。この1つの列車の往復によって、この4駅区間運航が成り立っていました。

走れ、4駅の軌跡を踏んで・・・

原ノ町~鹿島~日立木~相馬、この4駅20kmを走り抜けます。内陸部を走る区間であり、津波による被災を免れました。動画を通して紹介いたします。


全ての駅には、反対側から来る列車の待ち合わせができる構造になっていましたが、当時この孤立区間は乗車している列車しか運航していないため、行き違い自体ありませんでした。そのため全駅で進行方向左側のホームしか使われておらず、左側のドアしか開きませんでした。なお右側のホームへ向かう信号機は、バツ印がつけられて使用停止されていました。

相馬駅、再び線路は切れる・・・

常磐線相馬駅区間運転列車ホーム
孤立区間の終着駅、相馬に着きました。なおここから先は津波によって線路が流失した区間のため、代行バスで移動します。この列車は原ノ町へ戻ります。

常磐線相馬駅駅名表テープ隠し
駅名表です。次の駅「駒ヶ嶺」駅がテープで隠されています。また1番線の案内も黒テープでふさがれていました。

常磐線相馬駅発着案内
相馬駅改札上に掲げられていた案内表示です。「原ノ町行列車」・「亘理駅行き代行バス」共に、日中1時間おきに発着していました。

常磐線相馬駅亘理行き代行バス
駅を出ると「亘理」駅へ向かう代行バスが待っていました。この代行バスは、2016年12月に路線復旧により役割を終えました。

訪問後記

この旅行を立てたときから、この4駅区間の存在は大変気になっていました。常磐線原ノ町駅~相馬駅は、前後区間が災害で不通になってしまった結果、わずか4駅の列車運航であり、他の鉄道路線と一切接続しない飛び地路線になっていました。JRの飛び地路線といえば、接続路線がJRでなくなった「大湊線」や「七尾線」が挙げられますが、ここ常磐線の飛び地路線は、4駅が鉄道路線に全く接続しない孤立区間でした。この4駅での運航はどうなっているのか、運航する意義はあるのかという疑問がありました。

常磐線相馬駅区間運転列車ホーム
しかし実際行ってみると、1時間に1本そして1編成の列車往復という一見平凡でありながら復興へ向けた力強き営みがありました。かつては上野へ向かう特急列車もあったこの区間、その面影も消えてしまった今、地元の輸送と復興の源泉という役割を担い、孤立した4駅を結ぶ鉄道路線がここにありました。それはほかの鉄道路線とも変わらない、時間とともに列車を動かすいつもの光景・・・しかしかつて存在した道を再び結ぶ、復興という光を追い続ける姿も残して。

2017年に津波被災区間が復旧!

2016年に原発地帯である原ノ町~小高駅、そして津波被災区間の浜吉田~相馬が復旧しました。これによって、5年近く続いた飛び地列車の運航は終わりました。現在は原ノ町駅発着とする新しい運航が始まっています。常磐線の復旧は、あと原発地帯の区間を残すのみです。復興の機運を失わせないため、そして在りし日の道が再び開くことを祈りて。

それでは次回もまた不思議な鉄道風景でお会いしましょう。

2016年常磐線震災区間訪問ページ

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