ここはとある終着駅。朝と夕方しかやってこない荷物列車は、炭鉱住宅を背に今日も静かにいつもの風景を繰り返す…
小野田線本山支線長門本山駅、小野田市本山にあった炭鉱から採掘される石炭輸送を目的に開業しました。その役割を終えた現在、本山支線は朝夕3往復だけの運航となっています。
なお長門本山へ向かう列車は運航数の少なさ故、難易度が高くなっています。この記事の最後には、長門本山へ訪問する方法を同時に紹介いたします。
工業都市の中心部は、新川にあり
山口県宇部市、セメントをはじめとした産業を有する工業都市です。写真の建物は宇部市を代表する企業、宇部興産の本社です。
写真は山陽本線宇部駅の駅舎です。「宇部」という名前とあって代表駅と思われるかもしれませんが、宇部駅は宇部市の代表駅ではありません。
宇部駅に宇部市の案内板がありました。実は山陽本線の宇部駅は、宇部市の入口を意味しているだけで、宇部市中心部から外れています。宇部市街地へ向かうには、宇部駅を発着する宇部線に乗る必要があります。
宇部市の代表駅は、こちらの宇部線の宇部新川駅です。新川というのは宇部中心部を指す旧地名であり、今も駅名で残されています。先ほどの宇部興産の本社も、駅前通りを少し歩いた先にあります。
宇部新川駅は宇部線の途中駅ですが、宇部線及び小野田線の重要な拠点となっています。列車の行き違いはもちろん、写真のように車庫からの列車の出し入れ時には線路も大混雑です。
朝1本だけ!宇部からの孤立した終着駅へ
ここで路線図を改めて見てみます。東西に貫く山陽線から、新山口から宇部新川を通って宇部に至る路線を宇部線、居能から雀田・小野田港を経由して小野田に至る路線を小野田線があります。今回紹介するのは、小野田線の雀田から長門本山を結ぶ本山支線です。
宇部新川駅の時刻表です。宇部新川駅は宇部線ですが、小野田線の列車も全列車宇部新川の発着となっています。宇部線はラッシュを除き基本1時間半間隔、小野田線に至っては1日11本しかありません。
今回乗車する列車は、宇部新川を朝6時40分に発車する長門本山行という列車です。詳しい理由は後述しますが、長門本山行きに乗れる列車は、実質この朝1本しかないのです。
元荷物列車とともに、かつての炭鉱の果ての地へ
宇部新川駅を発車した列車は、6駅先の終点長門本山を目指して進みます。写真は雀田駅、小野田線の本線と本山支線の分岐駅です。本数自体が少ない小野田線ですが、雀田駅は本線と本山支線専用のホーム2つがあり、乗継に配慮したダイヤが組まれています。
雀田駅で本山支線に入った列車は、ただ1つの途中駅である浜河内駅にまず到着します。浜河内駅はホームだけで、その周りに家が数軒だけの駅でした。
そして終点長門本山駅にたどり着きます。本山支線は、わずか3駅2.3kmしかありません。
長門本山駅のホームと列車です。紹介が遅れましたが・・・この電車は国鉄時代に作られた123系という電車で、荷物電車として使われていた車両を改造して作られたものです。民営化直前に一部ローカル線に点在していましたが、現在は宇部線と小野田線に5両程しかいないという何気に大変希少な電車です。ちなみに2003年までは「旧国電」と呼ばれる茶色の電車が走っていたそうです。
123系の車内は、このような感じです。荷物電車を旅客用に改造した経緯のためか、扉や窓の配置など不自然な個所がいくつかあります。そして写真の通り、この日往路の乗客は、私一人しかいませんでした。
炭鉱都市の幻影は、1日3往復・・・
こちらが長門本山駅の全景です。駅員どころか誰一人いない無人の駅、異様に広いロータリーと倒れた数台の自転車というこの上なく場末感漂う終着駅です。この駅の構造を紹介してまいります。
まずは長門本山駅の待合室です。長門本山駅は終着駅でありながら、駅舎がありません。代わりの待合室も、屋根とベンチと風よけのみという極めてシンプルなものです。
待合室にあった長門本山駅の時刻表です。本山支線こと長門本山に来る列車は、現在1日3往復しかありません。時刻表の案内も、7時に2本と18時に1本とスカスカです。
長門本山駅前にあった本山周辺の観光地図です。ここでは「本山線」と案内されています。石炭輸送という説明から、本山炭鉱の石炭を輸送するために本山支線は敷設された経緯がかかれていました。
列車が発車した後の長門本山駅のホームです。ホーム1つ、線路1つ、架線1本と車止めというシンプルこの上ない構成です。しかし線路脇にあった生活道路にはバラストが残されており、石炭輸送で活躍したであろう線路跡がわずかながら残されています。
長門本山駅の遠景です。駅前はポスト1つとバス停があります。本山岬と小野田へ行くバスが1時間1本あり、1日3往復しかない長門本山駅よりも利便性があります。
この駅を訪れたい方へ、方法は宿泊だけ?!
本記事でもお伝えしましたが、小野田線本山支線の運航は朝2、夕方1の実質3往復しかありません。朝は6時40分に宇部新川から長門本山へ向かい、雀田~長門本山間の本山支線を1往復、そして9時に宇部新川に戻ってくる運航となっています。夕方も、18時の雀田発長門本山行の後に宇部新川へ戻る1往復だけです。無論太陽が出ている時間帯で訪問したいことを考えると、朝の電車に乗るしか方法がありません。
その朝の電車に乗る方法はただ1つ、宇部新川に宿泊するしかないのです。宇部新川駅は周辺に工業地帯の人たちのためのビジネスホテルがある一方、逆に宇部新川以外から訪問しようとしても宿泊施設が乏しいうえに本山支線にアクセスするための宇部線や小野田線の列車自体が早朝に存在しないためです。
「それでも行きます」というあなたに少しだけ情報を…123系の上に行先表示がありますが、「雀田⇔長門本山」という表示が現れることがあります。3往復といえど前後1往復は宇部新川駅からの出入庫を伴うため、「宇部新川」「長門本山」という表示になります。つまり純粋な本山支線内の往復を示すこの表示は、朝7時台の1往復しか表示されないレア表示です。必ず確認しましょう。
最後に・・・
こちらは長門本山駅の遠景ですが、ここから遠くに本山の炭鉱住宅が見えます。わずか2.3kmしかない本山支線が炭鉱目的で開業した路線であることを知ると、石炭輸送によって日本を代表する工業都市へ宇部を導いたことを今に伝える風景でもありました。
炭鉱輸送を当初の目的とした路線はいくつかありますが、代表的なのは2019年4月に廃止されてしまった北海道の夕張線があります。夕張線も夕張炭鉱などから採掘された石炭を輸送する路線でしたが、炭鉱が閉山となると同時に衰退の一途を辿り、廃止直前は1日5往復まで減らされました。その夕張線の終着駅である夕張駅も、夕張炭鉱の閉山によって駅自体が移転となり、最後は写真のように1つのホームだけの駅となっていました。
そんな夕張線同じ炭鉱輸送目的で作られた本山支線ですが、廃線となった夕張線が5往復であるのに対して本山支線はさらに少ない3往復です。通勤・通学目的の利用客があるとはいえ、もはや待ったなしの状況であることは間違いないとは思います。
実は2018年、宇部一帯の鉄道路線をBRT化しようという計画が持ち上がります。つまり本山支線どころか宇部線および小野田線諸共なくなってしまう可能性が出てきたのです。写真は東日本大震災によってBRT化された気仙沼線と大船渡線です。2019年に全線復旧したした右の三陸鉄道とは異なり、鉄道による復旧をやめることになりました。
石炭輸送によって宇部を発展させた立役者である宇部線と小野田線、宇部新川で国鉄時代の列車が行き交うこの光景も、そのうち見られなくなってしまうかもしれません。