今乗車している列車は、1日5往復の普通列車しか通らないローカル線。しかし普通列車でもただ1駅だけ通過する駅がありました。子供たちのために作られた、朝と夕方しか列車が止まらない駅・・・。
三江線は100kmを超える路線でありながら、1日5往復の普通列車しか運航していませんでした。さらに子供の登下校のために設置されたここ長谷駅は、子供の登下校時間帯に通る三次方面の朝2本・口羽方面の夕方3本しか停車せず、それ以外の普通列車は通過してしまうという不遇な扱いでした。やがて21世紀に入って利用する子供たち乗客がいなくなっても、列車はいつものように登下校時間に停車していました。
なお三江線は2018年4月に廃線となります。沿線人口の減少によって、長谷駅のように全く乗客がいない駅も珍しくありませんでした。JR線の中でも輸送人数が一番低く、100kmを超える長大路線の運航はもう力尽きました。
広島県の山奥、長谷の集落
三江線は広島県三次駅から島根県江津駅にいたる100kmを超える長大ローカル線であり、写真のように江の川に沿って走行します。線形が悪く全線走破にする列車は1日2・3本で5時間かかるため、陰陽連絡の役割は高速バスにとられています。
そんな三江線の広島県側には、全体の半分ほどの列車しか停車しない長谷駅があります。長谷駅周辺の沿線は、山林が茂っているところにあり集落や人が全くいないような場所です。
三江線に並走する道路を通っていると、突如線路に向かう階段が現れました。この階段を上った先に、長谷駅はあります。
googleマップで長谷駅の場所はこちらになります。三次方面に数件集落がある以外、周りに何もないことは明らかです。江の川を渡る為の橋もないため、長谷の集落だけの為の駅であるようです。
木造の駅舎と壊れたホーム
三江線の駅には吹きさらしの待合室しかない駅もありますが、長谷駅はこのようにしっかり(?)とした駅舎があります。子供たちが使う駅であるため、当時の教育委員会がわざわざ立ててくれたものだそうです。扉を開けると、「ガラガラガラ」という懐かしき響きが・・・。
駅舎の中はこんな感じです。駅の環境整備のため、スコップや竹ぼうきなどがありました。安全に使ってほしかった願いでしょうか・・・しかしもうここから子供たちの姿や声は聞こえてきません。
こちらが長谷駅のホームです。1両編成が基本の三江線にしては、ホームはかなり長いです。しかし長年整備されていなかったせいか、コンクリートはガタガタでした。
さらにホームの端の方へ行くと、壊れているホームがありました。人が立ち入らないようにした柵の向こう側は、もう自然に帰りつつありました。
こちらが長谷駅の駅名標です。かなり錆が滴っています。念のために言いますが、「ながたに」と読みます。「はせ」では鎌倉ですので・・・。
三江線には、各駅に石見神楽の題目が付けられています。長谷駅は「鍾馗」でした。唐や日本での疫病を、鍾馗という神様が退治するというお話です。そして鍾馗はこの掲示板の説明のように、八岐大蛇退治でも活躍したスサノオではないかとされています。
時刻表は、まさに「紙」レベル
では皆様お待ちかね、早速時刻表を・・・とその前に、まず隣駅である船佐駅の時刻表を見てみます。船佐駅では駅舎に時刻表が張り付けられています。
たとえ5往復という少なさであっても、三江線の各駅時刻表はこのように鍵付きの掲示板で立派に案内していました。そしてご丁寧に長谷駅通過とも書かれています。
それでは長谷駅の時刻表を見てみることにします。長谷駅の時刻表は駅舎内にあります。
三次行きは7時20分と9時6分の2本、浜原方面は14時26分と17時17分と19時49分の3本でした。それどころか「紙」です!画鋲で止めただけの「紙」でした。長谷駅の扱いは他の三江線の各駅とは列車の少なさから想像していましたが、時刻表掲示の格まで変わることは想像以上でした。
訪問後記
長谷駅は元々地元の学校が廃校になったため、三次方面の学校へ登下校する子供たちのために設置された事情がありました。実際国鉄時代は「仮乗降場」という「駅」よりも格下の扱いのため、時刻表にも乗っていない有様でした。JRになってから「仮乗降場」という扱いがなくなり晴れて「駅」になりましたが、登下校時間のみ停車する決まりは残ります。
全列車が止まる三江線の駅の中には長谷駅並に利用客がいない駅がありましたが、長谷駅のみ通過列車が存在した理由は登下校の時間に通る普通列車しか停車しない決まりだけが残ったためでした。そしてもう乗ってくることがない子供たちを迎えるための時刻表通りの運航を21世紀に入っても続けられ、そのまま廃線の時を迎えてしまったということなのでしょう・・・。
私も三江線には何度か乗車しましたが、朝及び夕方という車窓の景色が暗い時に走る列車しか長谷駅に停車しません。そのため私は、長谷駅に停車する列車に1度も乗ることができませんでした。故に今回車を使った訪問を今回お伝えいたしました。三江線がなくなった後、長谷駅はもちろん長谷の集落はどうなってしまうのでしょうか・・・。