【JR三江線】石見神楽が舞う川に寄り添い走る鉄道

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ここは中国地方のとある地方交通線。100kmで30駅にも及ぶ長い路線です。しかし普通列車しか走っていないうえ、全線走るのに4・5時間かかります。そして全線を通ってくれる列車はわずか1日2・3往復・・・列車に出会うことすら珍しいこの路線は、今日も川に沿って山をかき分けて小さな駅に止まりながら地元の人を運んでいました。


中国山地を源流とする江の川に寄り添いながら日本海の港町を結ぶ地方交通線、三江線。急行すら走ったことのないこの路線は、地元客を乗せて今日まで走り続けていました。しかし、ついに2018年に廃線が決まってしまいます。

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石見の国に舞う神楽・・・


島根県、石見地方。ここは世界遺産に指定された石見銀山をはじめとして、石州瓦の家屋などが軒を連ねる、古き良き日本の原風景が残る場所でもあります。


ここの伝統芸能が「石見神楽」、奉納の儀式において神話を演劇で表現したことが始まりです。上の写真はその花形ともいえる演目「大蛇」、スサノオが大蛇の8つの首を切り倒していく演技は、まさに圧巻の一言。将来の演者たちに恥じない一糸乱れぬ動きです。


そんな石見地方に流れる一級河川、江の川。その流れに沿ってひた走るローカル線がありますそれが今回紹介する三江線です。

三次の町から日本海へ・・・


場所は変わって広島県内陸の町の駅、三次駅です。「みよし」と読みます。この駅から三江線に乗って、江の川を下りながら日本海へ向かいます。駅舎は2015年に建て直され、訪問当時は改築後1年目でした。


三次駅の跨線橋に鵜飼いをする漁師が書かれた古い看板がありました。三次は霧の都と呼ばれており、雲海が見えるスポットが数多くある街です。


そして三江線の各駅は、石見神楽の演劇題目が愛称としてつけられています。ここ三次駅は「土蜘蛛」です。駅名標には登場人物と題目解説が書かれています。


さて訪問した時にこのようなキャンペーンポスターを見つけました。「江の川不可思議調査隊」といって、三江線沿線でキーワード集める宝探しゲームだそうです。この冊子を持ったちびっ子たちが、この後たくさん乗ってきました。


そうこうしているうちに列車が入ってきました。キハ120形というバスに似た軽快気動車です。あまり客がいないと思いましたがなんと2両編成!しかも石見神楽を描いた塗装でした。しかし日中三江線全線を走ってくれるのは、この三次で9時57分に発車する列車しかありません


列車は三次駅を9時57分に出て日本海側の終点江津まで14時49分着という5時間近い長旅・・・。108kmにも及ぶ鈍行列車の長い旅です。

美しき郷の町、浜原駅にて


島根県に入ってから一番大きい駅、浜原駅に途中訪問しました。駅舎も大きい立派な駅で、この駅を発着する列車もあります。なお先ほどの日中の列車は、この駅をすぐに発車してしまうため、この写真は後程訪問したものを掲載しています。


ここ浜原駅からはほぼ100年前に開通した旧「三江北線」区間にはいります。写真は三江線の1975年に全通した記念碑です。三江北線は戦前1937年に浜原駅まで開業し、40年近くここが終点でした。


大きい駅舎ですが、駅員はいません。人もいませんでした。というのもこの浜原駅は美郷町のはずれにあり、乗客は数人多い程度です。


廃線話が絶えない三江線でしたが、この時刻表を見れば納得します。江津方面が5本、三次方面が4本・・・特に三次方面は7時の列車を逃すと、10時間後の17時まで来ないという壊滅的なレベルです。浜原駅は元終着駅であり、ここを境に乗客はいなくなるのです。三江線は半世紀以上かけて全通を果たしたものの、人の流れを変えることはできませんでした。


江津に向かって撮ったものです。奥に三瓶山でしょうか、深い山々が見えます。なおここ浜原駅から江の川に沿って走るため、列車の速度は遅くなります。

石見川本、静かなひと時のなかで・・・


この列車の目的地は江津駅ですが、この列車は石見川本行きです。ここ石見川本駅で乗客は下車することになります。どうしよう・・・まずこの駅を探検します。


石見川本駅は島根県内陸部にある川本町の中心駅であり、かなり大きい駅です。駅舎の屋根には、石見名産の石州瓦が綺麗に並べられております。



この駅は起終点の江津・三次駅を除いて、三江線唯一の有人駅です。しかし駅員さんは日中無人駅の清掃へむかうため、到着時は無人でした。


駅のホームから江津へ向かう線路より。ここから終点の江津までは、行き違いができる駅がありません。もし三次行き列車が江津を発車してしまうと、江津行きの列車はこの駅で待ちぼうけを食らいます。


話を戻して・・・1時間半もこの駅で過ごす必要があります。ある意味都会では味わえない無常な時間を過ごすことができます。

石見神楽特別列車のご紹介


さて見るものがないので、乗ってきたこの列車をじっくりと観察してみます。前面には、この記事冒頭にもあった「スサノオノミコト」のデカい顔です。ちなみに反対側は「ヤマタノオロチ」ですが、連結されていたため見ることはできず・・・。やはり石見神楽といえば「大蛇」、誰もが知る鉄板演目のようです。


側面は様々な演目(すいません、勉強不足です)を演じているキャラたちが。なお自慢ですが、魚眼レンズで撮影しています。側面をとる際には大変便利。



車内には三江線各駅の愛称が書かれたステッカーが貼られていました。江の川と石見神楽の関係は、もはや運命共同体ともいえます。

日本海目指してコツコツと・・・


1時間半が経過してようやく江津行き列車が現れました。でも同じ列車・・・。実は三次から乗ってきた同じ車両でありながら、別列車の扱いです。三江線の旅に時間がかかる1つの理由が、この1時間半待たされる留置です。もう速達という概念がないのでしょう・・・。


再び江の川沿いをゆっくりと走りながら日本海を目指します。中には25キロまで落とす区間もあり、もはや並走している自動車の方が早いです・・・


ちなみにこの映像は、後日沿線で撮影したものです。場所にもよりますが、この速度で100キロを超える長旅に付き合わされます・・・。


もう1つ撮ってきた映像も紹介します。警笛を鳴らすと同時に速度を落としています。その証拠に速度制限標識が見えます。どうやら速度を落とすことで、線路を痛まないようにしているようです。運転士のブレーキング技術には頭が下がります。いじりすぎると列車の方のブレーキが摩耗しますので・・・

江の川と同時に終わる鉄路・・・


5時間近い三次からの長い旅もここで終わりました。1940円也。広島から行く場合は、芸備線を含めて7時間近くで3000円を超えます。ちなみに広島~浜田の高速バス「いさりび号」が2時間半で3000円ほどです。路線名にかけまして参考「三江」までに、(おもろくない・・・)
この長旅が割に合うかどうかは、皆様の判断にお任せします。


さて2両編成のうち、「大蛇」の列車が切り離されます。私のような三江線の乗客対応のため、観光用兼増結車両のようなものです。「オロチ」側の顔をようやく見ることができました。


切り離された1両は、再び三次行きとして長い旅に出ます。終点三次につくのは、3時間半後の夜19時近くです。

早すぎる最終・・・明かりが灯り始める駅


さて後日再び江津駅を訪問しました。平屋建てのコンクリート駅舎です。かつては東京へ向かう寝台特急「出雲」も発着していました。それもなくなった今、本州で東京駅から一番時間がかかる駅らしいです。


江津駅の駅舎内です。三江線の案内も掲示されています。次の列車は19時5分の浜原行き時計を見ると18時51分・・・急ぎましょう。


季節が夏とあって黄昏時の風景・・・浜原から来た列車が到着しました。乗客は・・・これが本来の三江線の姿なのです。なおこの列車が19時過ぎに浜原行きとして出発しますが、実は三江線江津駅を発車する最終列車です。


キハ120系の行先表示は手回しです。LED化で幕式自体も減っているのに、まさかの手動・・・。いや、それより「口羽」「浜原」「石見川本」、これらの行先表示もきっと・・・。


列車にとっては、10分程度のつかの間の休息です。キハ120系と隣駅江津本町と書かれた駅名標です。この光景も、まもなく過去のものになります。


黄昏時の中・・・最終列車が浜原駅にむけて発車していきました。そしてあの誰もいない浜原駅で夜間停泊、あの列車は夜を過ごすのです。


黄昏時の江津駅です。案内や観光名所の看板の明かりがともり始めます。日本海側には有名な温泉地帯が多く、有福温泉もその一つです。


その構内にあった案内を見てみます。おそらく国鉄時代からのものでしょう。三江線が廃止されるとどうなってしまうのでしょうか・・・。


でも私が驚いたのは、ここに下関方面と書かれていたことです。実は現在ここ江津から下関へ向かう列車はありません。20年程前の特急「いそかぜ」を最後に、ここから下関へ向かう列車はなくなりました。三江線どころかこの案内自体、もはや時代から取り残されてしまっていました

訪問後記

戦前から広島を目指して全線開業を目指した三江線、しかし全線開業した時はすでにもう遅すぎました・・・。JR西日本の発表により、三江線は2018年春に廃止されます。
それでも石見神楽と強い結びつきを持つ江の川に寄り添いながら、三江線は今日まで地元の乗客を運んできました。たとえ鬼の素顔を見せるように江の川水害が発生しても、三江線はその都度復旧をしてきました。また乗客が戻ることを願ってバスと協力してまでも増便試験を行ったこともありました。


さぁ三江線に乗ろう。」という旗がはためく浜原駅です。しかしもう限界は来てしまったのでしょう・・・止まらぬ過疎化によって、江の川に寄り添いながらゆっくりと歩む。そんな三江線の風景が今消えようとしているのです。ところで実は三江線のほかにも、中国地方には運航が危うい路線がまだあります。特に危ないとされているのが木次線と芸備線です。両者ともに三江線よりも少ない1日3往復しかない区間があり、さらに芸備線のある区間では、1キロ当たり1日8人という破滅的な乗客数です。これらの路線についても後々訪問したいと思っております。また三江線についても、廃止までの間に再び訪問したいと思っています。残りの生涯を懸命に生きる三江線の華やかな最期を祈って・・・。

それではまた不思議な鉄道風景でお会いしましょう。