特急券なしでの快速列車、旅情を楽しむ人の強い味方。別れあり、出会いあり、3社協力、約200km4時間に及ぶ感動のスペクタクル、その名は・・・東武快速電車!!
東京から日光・鬼怒川・南会津を結ぶ東武鉄道本線には、「快速」という長い距離にもかかわらず特急料金不要の速達列車がありました。それはお金をかけずとも時間をかけて旅情を楽しみたい者のために存在していた列車でした。この訪問から1か月後の2017年4月、快速列車はなくなりました。
旅の始まりは浅草から
日本に来る外国人観光客は必ず観光ルートに入れるほどの有名な東京観光地区、浅草。松屋浅草店の建物の中に、東武鉄道の浅草駅がありました。ここから日光・鬼怒川そして会津へ向かう旅が始まります。
浅草駅は5番ホームまであり、1・2番ホームが通勤列車、3・4番ホームが特急列車となっています。特急列車は「宇都宮」「太田」「日光」「鬼怒川温泉」等、行先は多方面の列車がたくさんあります。一方通勤列車は時間にもよりますが、「普通北千住行き」「区間準急久喜行き」がほとんどです。
2番線にあった路線案内です。見ているだけで目がチカついてきます。東武鉄道は、関東の私鉄で一番長い路線網を保有しています。この案内は東武本線のみで、さらに東武東上線もあります。地元民も全区間乗った人は、そうそういないのでは・・・。
先ほどの地図を見ると、一番遠い駅は「会津田島」駅です。遠い駅だから特急にのれば良いのか・・・いいえ、違います。2016年当時、特急は写真のように遠くても「特急きぬ、鬼怒川公園」駅まででした。
特急よりも遠く、最遠の会津へ!
左隅に5番ホームがあり、ここは快速・区間快速のりばでした。案内では「新栃木・下今市・東武日光・鬼怒川温泉」と書かれていましたが・・・
快速行先案内たる看板が、壁に掲げられており、「東武日光・新藤原・会津田島」と書かれていました。つまり快速列車の前2両に乗れば、一番遠い会津田島に向かうことができるというわけです。なおこの案内の通り、快速列車は1・2時間に1本の割合でしたが、わざわざ専用ホームを設けるほど、特急に等しい待遇でした。
行先表示案内も見てみると、「快速、東武日光 会津田島」と書かれています。なお快速は2017年に特急リバティーに置き換わる予定で、この5番線の快速発着も見られなくなります。この写真はその1か月前に撮影したものですが、新しい列車案内看板設置(準備中表示)等はまだありませんでした。おそらくホームごと使われなくなるのでしょう・・・。
5番ホームの1両目案内です。このマークの通りの電車がやってきます。6050系と呼ばれる電車です。
快速列車が到着してきました。スカイツリーと快速列車6050系。
さて浅草駅での先頭部分の写真です。本当はもっといいアングルの写真を撮りたかったのですが・・・、ここは2階です。一歩下がると落ちます。
9時10分浅草発、「快速 東武日光・(新藤原)・会津田島」行きです。ちなみにこの快速電車より後は、すべて区間快速となります。上り方面こと浅草行きは全て区間快速のため、快速自体ありません。つまりこの電車が、この日最後の快速です。
快速は走る、特急の如く
6050系の車内にあった東武鉄道の全路線図です。快速電車は当時とうきょうスカイツリーをはじめとして北千住・春日部・東武動物公園・板倉東洋大前・新大平下・栃木・新栃木・新鹿沼・下今市の順に止まりました。そして下今市で「新藤原・会津田島」・「東武日光」行きをそれぞれ切り離し、「新藤原・会津田島」行きは鬼怒川線・野岩鉄道・会津鉄道を通って会津田島まで各駅に止まり、「東武日光」行きは下今市を出た後に上今市を通過して東武日光にたどり着くという運行形態でした。これは鬼怒川線の各駅停車を除き、左端に書かれていた特急列車とほぼ同じ停車駅でした。
一方トイレの脇にも全路線図がありました。東京スカイツリー開業後のはずですが、かなり色あせています。この路線図・・・普通の人向けの案内よりもかなりのマニアックな内容で、
信号所、単線・複線・複々線、各路線の距離まで書かれていました。ところが惜しいミスが・・・答えは最後に発表します。ヒントはこれからの文章をよくお読みください。
さて浅草を出発した快速列車、会津まで行く電車なのだからいい旅夢気分・・・ではありません。上の写真は、夕方の北千住駅に到着した区間快速を撮影したものです。栃木県を入るまで、快速は特急料金いらずで特急並みの速達電車でした。そのため特急を嫌った地元ユーザーの人たちで、立つ人がいるほど混雑していたのが実情でした。
しかし栃木駅を出るころには、写真のようにほとんどが旅情を楽しむ人たちになります。快速電車は下今市までは6両ですが、終点へ向かうまでに列車は行先ごとに切り離されます。それぞれご紹介していきましょう。
違う道へ向かいし電車たち・・・、
快速電車に使われる6050系には、運転室ドアの上に行先幕があります。これは車両ごとに異なる行先へ向かうため、間違えて乗らないようにするために設けられたものです。まず前2両、1号車・2号車は「快速 (鬼怒川温泉・会津高原尾瀬口)会津田島」と書かれています。この車両が野岩鉄道・会津鉄道に直通して、一番遠い「会津田島」へ向かいます。
次の2両、3号車・4号車は「快速 (鬼怒川温泉)新藤原」と書かれています。前の会津田島へ向かう2両とは異なり、途中東武鉄道の終点の新藤原止まりの電車です。
そして最後の2両、5号車・6号車は「快速 東武日光」と書かれています。途中の下今市で前の4両と別れて、東武日光へ向かう電車です。
そしてこれは各車両の連結部です。もし違う行先に乗ってしまった場合でも、この連結部分を通って行き来することが可能でした。
東武日光線の前面の景色です。電車は日光街道に沿ってさらに進んでいきます。下今市は間もなくです。
日光との別れ
下今市につきました。写真は下今市駅の駅名標です。ここで路線は分岐しており、
- だいやむこう(大谷向) << 東武鬼怒川線:鬼怒川・会津方面
- かみいまいち(上今市) << 東武日光線:日光方面
それぞれ分かれていきます。
ここで6050系の行先表示を見てみると、「東武日光・(新藤原)・会津田島」と書かれています。これは鬼怒川方面を前にして2両分ずつ「会津田島行き」・「新藤原行き」・「東武日光行き」ということです。ここで後ろ2両の東武日光行きを切り離すため、「東武日光」という文字が消えます。
切り離し作業です。ドアを閉めて車両を動かすなどの作業は行われず、幌をたたんで連結器のロックを解除するだけでした。あまり詳しくないので動画では全過程を・・・。
東武日光へ向かう右側後2両を切り離しました。
切り離した後の連結部です。もう違う車両へ行き来することはできません。
会津田島・新藤原行きの電車が発車していきました。この出発した4両は、新藤原でも後ろ2両を切り離します。
残された快速東武日光行きの2両編成です。ここで会津方面に乗ってしまった日光へ向かう客がこの列車に乗ってきます。行先はすでに「快速 東武日光」になっています。
快速東武日光行きが発車してきました。ここ下今市を発車すると、次の上今市を通過して終点東武日光に到着します。「快速 東武日光」行きは浅草から約135km、2時間10分程の旅でした。なおここ下今市駅は日光と鬼怒川の分岐駅でもあり、詳しいページを乗せています。
鬼怒川への険しき道
さて鬼怒川へ向かった列車に戻ります。東武鬼怒川線に入ると、カーブが続いて速度があまり出せません。元々鬼怒川の水力発電所建設のための資材運搬線であり、山の間を縫わせるような線形であるためです。
途中の小佐越駅です。ここで向かいの特急「きぬ」を待合せました。ここは長年東武ワールドスクウェアの下車駅でしたが、2017年夏に「東武ワールドスクウェア」駅そのものが開業します。そのため小佐越駅の下車駅案内も、過去の風景となることで・・・。
新藤原駅です。東武鉄道はここが終点です。ここで新藤原止まりの後ろ2両を切り離し、前2両のみ会津田島へと向かいます。後ろ2両の新藤原行きは浅草から約145km、2時間半程度の旅でした。そして鉄道会社が変わり、野岩鉄道となります。切離し作業と野岩鉄道へ運転士交代をするため、数分間停車しました。
福島へ貫く野岩鉄道、続くトンネル地帯
野岩鉄道に入ると、トンネルや鉄橋がこれでもかと続きます。カーブだらけだった東武鬼怒川線とは異なり、山を貫通するようにして進んでいきます。元々東武鉄道と会津鉄道(国鉄会津線)を直線で結ぶために建設されており、開業も国鉄がなくなる直前の1986年と比較的若い路線です。路線名も「会津鬼怒川線」というまんまの名前です。
ここは龍王峡駅です。鬼怒川渓谷の名所、龍王峡の最寄り駅です。野岩鉄道に入って初めの駅ですが、ここでほとんどの人が降りていきました。
湯川西温泉です。トンネルの中にある珍しい駅です。ここでも多くの乗客が降りていきました。
車内検札が来たのですが、持っている切符がOUTでした。浅草駅での自動券売機は、1550円こと新藤原駅までしか扱っていません。ここで会津若松までの切符を購入しました。極端な話、直通で乗る人がいないのでしょう・・・
会津高原尾瀬口駅です。野岩鉄道会津鬼怒川線の終点です。関東から抜け出し、この駅から福島県に入りました。さらにここから鉄道会社が変わって、会津鉄道会津線となります。この駅は会津線開業時は地元の地名から「会津滝ノ原」という名でしたが、野岩鉄道が開業すると東京からの観光客誘致もあり「会津高原」に、さらに2006年に「会津高原尾瀬口」と名前をコロコロと変えています。ここを終点とする電車もあり、さぞかし案内を変える手間をかけたことでしょう・・・。
浅草から会津高原尾瀬口までは、175km程で3時間ほどかかっています。なお新藤原駅とは異なり、野岩鉄道の運転士がそのまま運転するためすぐに発車しました。そのため写真を撮る暇が・・・
会津高原の終着地、南会津の里・田島町
会津鉄道を走行中の区間快速列車です。トンネル区間はなくなり、山の間を縫うようなルートを通った跡は、平原地帯をまっすぐと突き進無風景に変わります。浅草から終点に向かって、ひた走り続けます。
それもついに終わりの時が来ました。終着駅、会津田島駅です。浅草から約190kmほどで快速で3時間半、区間快速では4時間以上の長旅でした・・・
浅草からの快速列車は、普通新藤原行きとなって折り返します。会津田島から先の会津若松方面は電化されておらず、電車は行くことができません。この果ての果てなる会津田島駅については、以下の詳しいページをご覧ください。
東京へ戻ろう、4時間かけて・・・
会津田島駅の駅舎です。福島県南会津町の中心駅です。会津鉄道の途中駅ですが、ほとんどの列車がここを始発・終着します。この駅から東京・浅草へ1本で戻れる列車があります。
改札口上に掲げられていた発車案内です。会津鉄道の途中駅ですが、行先は様々です。会津若松方面は会津若松のほかに喜多方、会津高原方面は会津高原尾瀬口・新藤原・鬼怒川温泉・東武日光・新栃木・・・そして一番遠い駅、「区間快速 浅草行き」は間もなくやってきます。
16時ちょうど発、区間快速浅草行きがやってきました。反対方向を含め、この日最後の区間快速電車です。なお下り方面は区間快速のみで、快速はありませんでした。
区間快速は東武鉄道の栃木・新大平下まで各駅停車という長旅で、この電車が終点浅草につくのは20時過ぎです。この旅の過程を語るのは・・・やめておきましょう。
再び日光の列車と出会い、スカイツリーへ
さで時間を少し巻き戻して・・・再び下今市駅です。会津・鬼怒川からと日光からの列車が出会います。
会津・鬼怒川からの区間快速列車がやってきました。会津田島では2両編成でしたが、途中新藤原で前に2両を増結して計4両です。
駅員が信号旗を持って待機しています。いよいよ併結です。
駅員が旗を振りながら連結まで誘導します。なお日光方面からの乗客は、連結の衝撃を否応なしに味わいます。
下今市での併結によって、電車は6両編成となりました。
各車両の始発駅は様々ですが、すべて「区間快速 浅草」と案内されます。
区間快速浅草行きが発車していきました。この列車は再びスカイツリーの町に戻っていきます。
浅草へ到着、車庫へ
区間快速が浅草駅に到着してきました。遠いところは会津田島からの200km弱もの長旅です。幕の順序事情ですが、偶然「浅草」から「会津田島」までこれまで通った駅の名前が流れました。
北千住・栃木・下今市・東武日光・鬼怒川温泉・鬼怒川公園、新藤原・会津高原尾瀬口(旧名:会津高原)・会津田島・・・さらに臨時団体で扱う「たびじ」「林間学校」、そして「東武日光・(新藤原)・会津田島」・・・最後は「回送」となりました。
乗客を降ろした後は回送列車となります。快速電車は折り返し運用を含めると5番線からでしたが、到着後回送の場合は特急ホームの3番線で対応していました。
回送で引き揚げていきました。明日からまた再び栃木、そして会津の地を走ります。
訪問後記
東京と日光・鬼怒川、そして南会津の地をむすぶ東武電車。遠くへ行って旅をしたい、でも特急では贅沢すぎてしまう、金はないが時間はある、そんな旅情を楽しむ味方がいました。やがて特急ではいくことができない南会津の地へ向かいます。野岩鉄道の開通によって会津地方へのルートを切り開き、70年も終着駅であった新藤原から会津高原へ、そして会津田島までの電化も成し遂げました。東京から会津への鉄道のみち、その立役者もこの快速電車でした。
そしてこの1か月後、半世紀以上走り続けた東武快速電車はなくなりました。しかし明日には特急「リバティー会津」がその役を担い、いつものように会津の地へ乗客を送り届けることでしょう。快速電車在りし日の東武鉄道、それは私のような旅情者にとっては優しきゆりかごのように・・・
ここ東武の地に新しい風景が訪れようとしています。
ランクは消滅
東武快速電車は2017年4月にその運行を終えました。また快速電車の廃止によって、特急以外の電車は南栗橋を境に分断されました。これにより特急なしで日光・鬼怒川・会津を含む栃木方面へ向かう場合、南栗橋で必ず乗り換えなければならなくなりました。しかし2017年のGWのように、6050系は臨時列車として浅草発の東武日光行きが運行しています。おそらく今後多客時には臨時特急のように、浅草の地に度々顔を出してくれることでしょう。
快速電車を中心に長くお伝えした東武鉄道の連載紹介も、ひとまずここで終了いたします。ふたたび新しい特急、そしてSLが通るとき、新しい風景を生み出してくれる時、またこの地を訪れて紹介してまいりたいと思います。
あ、忘れておりましたが、クイズの答えです。正解は・・・栃木県・福島県の県境です。路線図では新藤原~龍王峡の間に書かれていましたが、正しくは男鹿高原~会津高原尾瀬口の間です。ヒントも記事内に書いています。
それでは、また不思議な鉄道風景でお会いいたしましょう。