ここは半世紀前に戦火を交えた戦争の最前線、目の前のコンクリートの線は、文字通り絶対に越えてはならない一線・・・。
朝鮮半島は2つの国によって分断され、朝鮮戦争の後に境界線上に2国間の停戦監視及び会議施設が建てられました。その施設は、JSA「Joint Security Area, 共同警備区域」と呼ばれます。一般的によく呼ばれる「板門店」は、JSAを含めた境界線周辺の地名ですが、JSAそのものの通称としても知られています。
板門店への行き方・・・方法はDMZバスツアー参加
朝鮮半島は第二次世界大戦後の冷戦によって、以下2つの国に分割されて現在に至っています。
- 北:朝鮮民主主義人民共和国 (北朝鮮, DPRK, 北韓, …)
- 南:大韓民国 (韓国, ROK, 南朝鮮, …)
カッコ内のようにいろいろな呼び方はありますが、これ以降は公平性のため、北側・南側といたします。
例:今回私は南側のDMZツアーに参加しました・・・という感じです。
そして板門店へ行くためには、DMZ専用のバスツアーに参加する必要があります。このツアーは板門店以外にも都羅山展望台、第3トンネル等訪問する日帰りパッケージツアーのようなものです。予約の仕方などはツアー会社のwebで申し込むだけなので、ここでは割愛させていただきます。
DMZツアーは南側から北側の風景を眺めるという流れが続きます。そして板門店の訪問は、ツアー最後の目玉となっています。北側の景色について知りたい方は、以下のページからどうぞ。
観光案内所での契約&お勉強タイム
板門店に行く前、「キャンプ・ボニファス」と呼ばれる軍事施設で降ろされました。後述するポプラ事件で亡くなったアーサー・ボニファス兵士の名前が由来となっています。その中にある「JSAビジターセンター」と呼ばれる観光案内所で自己責任などの契約書の署名、そしてお勉強となります。説明はプロジェクターを投影する部屋で行われ、英語・日本語で説明を受けます。
しかし施設の写真撮影は制限されています。そのためここから先は第3トンネルに併設された資料館の写真を使って説明します。なお第3トンネルの詳細は以下の記事をご覧ください。
戦争を止めている1枚の紙・・・
朝鮮戦争休戦時、その休戦協定をおこなった場所が「板門店(パンムンジョム)」という場所でした。ただ厳密に言うと停戦調印は現在の「板門店」そのものの場所ではなく、上の写真のように1kmほど北側にあった開城の「ノルムンリ」という集落で行われました。「板門店」はその近くにあったタバコ屋の名前がその由来とされています。その休戦協定のために建てられた建物は、現在「朝鮮民主主義人民共和国平和博物館」となっています。
その時に書かれた休戦協定書がこちらになります。当事国双方の代表者がサインしたこの紙によって、朝鮮戦争は今なお止まっているのです。そして軍事境界線上に位置している「板門店」の一区画に、北側と南側どちらの領土にも属さない共同警備区域JSAが設置されました。当初JSAは境界線が設定されておらず、区域内であれば双方の兵士が自由に行動できました。しかしその取り決めによってJSA内で監視所の設置競争が始まってしまい、互いに相手の動きを監視し合う消耗戦が繰り広げられることになってしまいます。
そんな混沌とした状態だったJSAで事件が起きます。監視の支障となるポプラの木を切ろうとした「アーサー・ボニファス」氏ら2人のアメリカ軍兵士が、剪定を止めようとした北側の兵士と諍いを起こし殺される事件が起きてしまいます。これがポプラ事件です。写真はその時に殉職したボニファス氏のヘルメットです。
この事件で急遽会談が開かれ、JSAにも境界線を引いて北側と南側を分けることに決まりました。その結果写真のように境界線上にプレハブのような会談場所を設置した現在のようなスタイルとなったわけです。ちなみに写真手前には捕虜交換が行われた有名な橋「帰らざる橋」もあります。しかし近年北側が高性能地雷を設置したとの情報のため、安全の為現在は観光ルートから外されています。
他にも国旗掲揚台について、DMZ内の村についての説明もありました。そして最後に訪問者宣言書の署名を求められます。一応日本語なので理解はできますが、戦時下最前線ということもあって内容は然りです。
板門店の共同警備区域への訪問は、敵性地域への立ち入りを意味し、敵の行動によっては迫害を受ける、又は死亡する可能性があります。(以下略)
署名を終えたところでJSAへ向かうバスに乗り込みます。一言でいうと穏やかな草原地帯の景色ですが、侵略時に道をふさぐためのコンクリートバリケードや北側の国旗掲揚台を横目にを通るルートであり、バスの中は緊張感が張り詰めた空気であったと記憶しています。無論移動中の撮影は禁止でした。
睨み合いの境界
到着しても撮影は禁止状態、「自由の家」と呼ばれる南側の会議場兼案内用の建物を通り、いよいよ最前線に通されます。マップを見てもわかるように、JSAが2国間の境界線をまたがるようにして設置されています。
ついに撮影許可が下りましたので写真を・・・。ここがJSAです。なお冬場の15時ごろであるため、手前の南側が日陰になっていました。このような陰陽ある光景もなかなか見られないものです。常に南側の3人の兵士が相手側の方を終始監視していました。向こうに見えるのは北側の会議場「板門閣」です。
違う方向から見てみると、ちょうど境界線にも光が当たっています。通常領土係争中の2国間が境界を決めるとき、トラブルを防ぐために真の境界線上にはから少し手前の自国領にフェンスや壁などの物理的な境界を設置するのが普通です。しかし戦争中の2国間でこのように明確な形で境界線そのものが示されている光景はかなり珍しいともいえます。ちなみに手前南側の兵士が半分建物の陰に隠れながら北側を監視していますが、これは万が一狙撃されたとしても半身を保護するためです。
南側韓国軍兵士の視線の先には、北側の北朝鮮軍こと朝鮮人民軍兵士が直立不動で警備していました。寒さ、または西日のまぶしさの為か、かなり強張った顔をしていました。双方とも自国を守ろうという任務についているのです。なお契約書にもありましたが念のため・・・、相手側に向かって声を上げたり手を振ったりするような行為は絶対いけません。挑発行為とみなされて、・・・然りです。
境界を越える方法
さて世界一緊張感ある撮影タイムを終えたところで、境界線上にある会議室の建物内に通されます。会議室の建物は大きく分けて2つの色が塗られており、青い棟が南側、白い棟が北側が管理しています。写真のように建物の中には、すでに2人の兵士が常に警備している状態です。手前から紹介していきます。
まず1人目の兵士、国連の小さい旗とマイクの前に立っています。兵士の前の席は、会談を行う際の議長席のようです。なお契約書にもありましたが、旗とマイクには触れないように・・・。ちなみに南側の兵士はサングラスをしていますが、これは相手兵士に視線を悟られないようにするためです。
実はここで建物の中ではありますが、境界線を越えました。しかし南側管理の建物内なので、境界線を越えても南側の中にいるという扱いとなっています。この境界越えを何度も楽しむその他観光客が大勢でした。10cmの幅があるコンクリートを境に、北側は砂地、南側は砂利となっています。外側には双方の兵士はいませんでしたが、北側の砂地には警備した兵士の足跡がくっきりと残っていました・・・。
そして2人目の兵士、背面にある扉の前に陣取っています。この扉の向こうは本当に北側となります。警備をしている旨を示すため、常にテコンドーの”構え”の体制をとっています。契約書には兵士相手に声をかけたり触れたりと任務を妨害するような行為は禁じられています。しかし見てもお分かりいただけるように、兵士は不可触的な雰囲気を醸し出しており、契約書がなくとも相手にしようとする気が起きません・・・。
帰還とお土産タイム、その一番人気は・・・
なおその後案内所に戻ってお土産タイムとなりました。土産物店は、JSAビジターセンターの写真左側の筒状の建物です。中にはピンバッチや軍事迷彩風なアクセサリーなどの他、北側で生産されたワインなどの加工品も売られています。しかしガイド曰く一番人気の商品は、こちら・・・。
上に北側の国章と「朝鮮民主主義人民共和国中央銀行」と書かれています。これは2009年まで北側で流通していた紙幣のセットです。故金日成国家主席が書かれている5000ウォンをはじめとして、白頭山密営や凱旋門などの建造物、そして理想(?)に燃える兵士や人民のデザインが書かれています。ちなみにこの紙幣セットの値段は50ドルこと5千円、レートが正しいかどうかは聞くだけ野暮です。
この地を訪れたい方へ・・・
今回は鉄道ではありませんが、DMZツアーで体験したことを伝えるため筆を執りました。話でも聞いた通り、独特な緊張感がひしひしと伝わってくる場所でした。ちなみにこの記事を書くにあたって、極力中立的な言葉になるように腐心した所存です。
まず写真撮影ですが、「統一大橋」を渡ったあとを含め無断撮影は禁止されています。武器とみなされかねませんので、絶対におやめください。なおカメラについてですが、今回参加した中で機種や形についてまた焦点距離(ズーム)についての注意もありませんでした。ただし一眼レフの大口径大型レンズはやはりやめるべきです。どう見ても武器に見えますので・・・。
服装についてですが、挑発的な言葉が書かれたものはもちろん、露出が多い服装やGパンもお勧めしません。ガイドの方曰く、「北側がネガティブイメージ的な宣伝材料に使う」からだそうです。ただしたとえ間違ってきてしまったとしても、案内所で借りられる服装というものがある程度は用意されていますようですが、それでも軍事境界線ツアー以前に観光客としてのマナーは最低限守るようにしましょう。
特に注意したいのが飲酒事項です。実は参加12時間前からの飲酒は禁じられています。写真は今回のツアーの昼食風景で出されたプルコギ定食です。ただしこの昼食の場でも午後に板門店に参加する人は、アルコールの提供が制限されていました。持ち込みはもちろん、前日の深酒も注意です。
そして最後にもし有事が起きたことを含め、国連軍軍人に必ず従うことです。このような戦時下の最前線にむしろ行けるということ自体がそもそも珍しく、安全を要求すること自体そもそも論外です。危険を承知したうえで、ツアーに参加するようにしましょう。
今後このように兵士同士が気兼ねなく隣り合うような風景は、実際にやってくるのでしょうか・・・