とある山に設置された展望台からの風景、そこには2つの違う国の旗が掲げられています。それは一見穏やかな風景には似合わない不自然な光景、そして引き裂かれた村の間は誰も行き来する事はもう叶わない。
朝鮮戦争最前線の風景を望むことができる都羅展望台、かつては軍事的な規制によって写真撮影は許されていませんでした。ところが今回訪れてみると、訪問客は身を乗り出してカメラを構えていました。戦争最前線という睨み合いの現場で、何が起きようとしているのでしょうか・・・
統制区域に侵入、北の風景を望む丘へ・・・
南側韓国にある統一大橋、ここから先は市民統制区域に入ります。手前の看板には「承認車両、身分証明証の準備」「未承認車両、ターン」と書かれています。許可なしの撮影は禁じられています。なおここから先は許可なしの撮影は禁止されています。最悪武器とみなされます・・・
途中で都羅山駅を寄り道します。日本が建設した京義線が戦後分断され、現在南側で暫定的に終点となっている駅です。詳しくは以下のページをご覧ください。
そんな都羅山駅を過ぎて、バスは都羅山の上を目指して登っていきます。頂上は軍事境界線手前1km手前ほどのところです。
許されるようになった写真撮影
ここが都羅展望台です。かつては韓国語のみ看板が掲げられていました。しかし今回は屋根に4か国語の新しい看板が掲げられており、「分断の終わり、統一の始まり」と書かれていました。この建物は管理棟らしく、展望台がある左端へ向かいます。
さてこの黄色い線が、写真撮影ができる境界線ですが・・・皆様この境界線を越えて写真を撮りまくっています。実は2016年から写真撮影が解禁になり、この線の存在意義がなくなりました。結果かつて使われていた双眼鏡にも目もくれず、皆様カメラを構えてシャッター音の嵐です・・・。
というわけでございまして、私も大手を振ってバシバシと・・・ではなく節度を守って撮影に臨むことができました。まずは魚眼レンズで全景を撮影してみました。つい1年前までこの風景をカメラに収めることは不可能でした。ちなみに写真なのでわかりませんが、北側への宣伝のために大型スピーカーでKPOPが常に流されています。
大自然の向こうの不自然・・・
それでは皆様に展望台の風景および構造物を説明してまいります。
まず展望台の上部にはこのような案内があります。都羅展望台は北側にある国境の町、開城市(ケソン市)の街並みを望む風景です。空気が晴れている場合、開城市内にある金日成国家主席の銅像も見ることができるそうです。それでは実際の景色をご覧ください。
こちらが開城市全景の景色です。軍事境界線の大自然から少し奥のところに、突然近代的な街並みが現れるような・・・そんな違和感ありな風景です。この近代的なビルが立ち並んでいる箇所が、開城工業団地です。2000年代に太陽政策の一環により、南側の企業連合が北側の開城市郊外に開発した工業地区です。しかし近年の南北間トラブルによって、工業地区の運用は凍結されてしまいました。そのため実際は煌びやかな外見の一方で全く動いていない状態と考えられています。ところが実はこの写真を撮った1か月後から北側が独自に稼働を始めたそうです・・・。記事HP
開城市の部分を特に拡大してみます。改めて先ほど紹介したビルが立ち並ぶところが開城工業団地です。実際の開城市の市中心街は、右側奥のほうにあります。ちなみに写真中心にうっすらとひときわ高いアンテナが立っていますが、このアンテナはGPSを妨害する電波を出す送信塔といわれています。
「自由の村」と「平和の村」の争い
そしてここの展望台でもっとも見るべき風景が、軍事境界線(MDL)周辺の風景です。案内看板を見ると、両国2つの旗が立っている箇所があります。これが国旗掲揚台と呼ばれるものです。その国旗掲揚台の下には、それぞれ「宣伝村」とも呼ばれる村があります。
こちらが実際肉眼で見る風景です。手前にあるフェンスが、軍事境界線を挟んで南側が軍事的警備できる限界のラインです。しかし国旗掲揚台およびその村は、そのラインを越えた軍事境界線間際に存在しています。
まず手前南側。大韓民国の国旗こと「太極旗」を掲げた国旗掲揚台があります。高さは100m弱です。その近くにはテソンドン(台城洞)と呼ばれる村があります。通称「自由の村」とも呼ばれています。ちなみにこの村を巡るツアーも別にあるそうです。この村は朝鮮戦争以前から元々集団農家が住んでいる村であり、戦争後に境界線の取り決めによって孤立してしまった状態となっています。この村の住民は兵役や納税がない代わりに、土地耕作はあらかじめ届け出たうえで兵士付きで作業するというそうです。そんな境界線付近故に南側の人は近づかない、と思いきや・・・。実はアメリカ軍が学校の英語教育を請け負ってくれるため、「韓国全国から英語教育させたいという熱心な親御さんからの入学依頼が殺到している」とガイドさんはアメリカの軍人さんと笑いながら説明していました。そんな「自由」な村です。
一方奥の北側。朝鮮民主主義人民共和国の国旗こと「共和国旗」を掲げた国旗掲揚台があります。高さは160mと最高クラスです。こちらも近くにはキジョンドン(機井洞)と呼ばれる村があります。通称「平和の村」とも呼ばれています。すぐ南にある南側の監視塔から、あまり離れていないことがわかります。一見すると青緑色の公団住宅みたいな建物が並んでいます。この村も朝鮮戦争以前からテソンドン同様に集団農家が住んでおり、南側に対して平和な暮らしを実現した村として前面に押し出すために開発されたといわれています。しかし南側から見ると一斉に電気がつくなど明らかに不自然な動きゆえ、実際は人が住んでいないハリボテらしいとのことです。人がいないから・・・確かに「平和」な村です。
観光情報 (2017年)
先述したように、かつては設置された双眼鏡のみ風景を見るしかありませんでしたが、2016年から写真撮影が許されるようになりました。焦点距離も特に注意はありませんでしたが、やはり大砲レベルのレンズは避けておきましょう。
都羅展望台には、景色から見ることができる構造物を説明する映像を放映する管理棟があります。もちろん日本語対応の映像もありました。しかし管理棟は映像及びガラス越しの風景を含め、内部の撮影は禁止されていました。
そして最後になりますが、今この場所は戦争中です。軍事施設であることを忘れないようにしましょう。また今回は2016年から撮影が解禁とお伝えしましたが、今後の状況によっては写真撮影はおろか訪問すらままならない可能性もあり得ます。南北が統一されることが本望ではありますが、そうなるとここ都羅展望台の緊迫した風景も消えてしまうことになります。穏やかな風景にみる戦争中の風景、そしてその最前線を見ることができる場所がそこにありました。
それでは、また不思議な風景でお会いしましょう。