【三江線石見川本駅】反対方向の列車待ちで乗客を降ろして1時間半待たせた駅

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ここは行き違いができるローカル線のとある駅、ここから先の30kmは1つの列車しか通ることを許されません。向かいの列車が来るのは1時間半後、乗客は強制下車・・・。


広島県三次から島根県江津を結ぶ100kmを超える長大ローカル線である三江線。その途中駅のここ石見川本駅から終点の江津までの30km、この区間での列車交換ができませんでした。そのため三次から石見川本にたどり着いた列車は、江津からの列車を1時間半待ち続ける運行を行っていました。

さあ、三江線に 乗ろう

沿線にはこんな三江線の存続を応援する旗がありました。しかし健闘むなしく三江線は2018年4月に廃止されました。

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100kmを超える長旅列車は石見川本行き、その正体


広島県内陸部にある三次駅。芸備線の主要駅でもあると同時に、江の川に沿って島根県の漁港の町江津へ向かう三江線の始発駅でもあります。


三次駅の時刻表です。芸備線は広島駅への通勤路線として、1時間に1本程の列車があります。しかし備後落合方面は1日7本、三江線の江津方面では1日に5本しか列車がありません。さらに三江線の欄は江津方面と書かれていますが、江津へ直接向かってくれる列車は早朝5時38分の浜田行き1本しかなく、それ以外の4本は途中駅どまりとなっているのです。


三江線は3番ホームから発車します。やってきたのは石見神楽塗装の列車です。スサノオノミコトや八岐大蛇が書かれております。2016年8月当時において三江線は廃止発表されていませんでしたが、夏のシーズンとあって多客期対応につき2両で運転していました。


案内を見てみますと、普通石見川本行きと書かれています。三江線三次発車の5本のうち、2番目の列車となります。途中駅どまりですが、背に腹は代えられません。運転本数が少ない三江線で日中の明るい景色を見るためには、上下線を含めこの1本の列車しかなかったからです。


ここ三次から江の川に沿って進んて行きます。これからはるばる100kmを超える旅に出発します。

山奥と県境を越えて、ローカル線での2時間


10時2分、いよいよ出発です。三次駅を発車した三江線の列車は、踏切を渡ると分岐点となります。左側は広島方面へ向かう芸備線、右側が江津へ向かう三江線となります。2018年4月に右側がなくなってしまう景色が想像できませんが・・・そんな思いを胸に進んでいきます。


列車は江の川に沿いつつ山奥の景色を通ります。写真は普通列車でも通過してしまう長谷駅です。子供はもういなくなりましたが、登下校時間のみ列車が停車します。


そして島根県に入った三江線は、山奥を貫くために作られた新しい区間をすっ飛ばします。写真は116段上に設けられた高架駅、宇都井駅です。列車が駅に侵入する情景を撮影するため、多くの訪問客が訪れていました。


そして新しい区間を過ぎた後は、25km/hという並走する自動車よりも遅いスピードで江の川を下っていきます。そんな旅を2時間・・・、高速バスだと広島から山陰まで到着間近という時間です。

先はあるのに強制下車、川本にて


さて三次駅出発から2時間経過した12時18分、列車は石見川本駅に到着します。写真のように行き違いができる駅ですが、江津からの列車がまだ来ていません。


写真は、石見川本までの運賃表です。江津まではあと9駅ですが、今乗っている列車はここ石見川本が終点となります。


というわけで乗客は全員列車を降りることになります。御覧の通り列車の中はがらんどう・・・。やがてエンジンも止められます。

エンジンを止めた、静かなひと時・・・

次の江津行きは 13時45分 1番乗り場から発車します
ドアは 13時40分頃開きます。


列車の発車は1時間半後・・・というわけで締め出された私たちは、ここ石見川本駅で強制下車ということで、まずこの駅を探検します。


石見川本駅は島根県内陸部にある川本町の中心駅であり、かなり大きい駅です。駅舎の屋根には、石見名産の石州瓦が綺麗に並べられております。



石見川本駅は起終点の江津駅・三次駅を除いて、三江線唯一の有人駅です。しかし駅員さんは日中他の無人駅の清掃へむかうため、到着時は無人でした。


駅に1年前から突然現れたこの人、「石見みえ」さんという新人運転士らしいです。三江線活性化協議会のキャンペーンの時に誕生した看板娘です。この人も廃線後は・・・。


・・・話を戻して1時間半もこの駅で過ごす必要があります。ある意味都会では味わえない無常な時間を過ごすことができます。

三江線と川本町、そして江の川


ここで石見川本駅周辺の地図を見てみます。川本の町に三江線がやってきたのは戦前の1934年、地図の街並みを見ても石見川本駅ができたことで駅周辺が発展してきたことがわかります。


この地図看板は石見川本駅の駅前に掲げられていたものです。この地図を見ると、三江線が江の川の流れに従った故に速達化を図れなかった理由がわかります。日本海側に向かうには、北方向の石見銀山や大田市へ向かうのが正しい方向です。しかし三江線は北に直接向かわず、江の川の流れに従って南西に向かっています。逆の広島方面も真南に進むべきにも関わらず、江の川に従って北東へ向かっているのです。


そんな石見川本駅には高速バスも発着します。1時間で大田市駅へ向かうバスが7本、2時間で広島へ向かうバスが2本あります。時間・本数で完敗也・・・。

1時間半待ち続けた出会い


さて1時間半が経過した13時30分、江津行きの列車として再び扉が開きました。三次から乗ってきた同じ車両でありながら、別列車の扱いです。13時40分の案内でしたが、乗客が多い故か10分早く乗車が許されました。


その待たせた相手ならぬ江津発の浜原行きの列車が現れるのは13時42分、江津行きの列車の中で待っていると、トンネルの向こうにお相手は現れます。


分岐を渡る直前の浜原行きの列車です。江津からやってくる列車が石見川本駅に到着するこの風景は、有名なシャッターチャンスと紹介されていました。


分岐を渡った浜原行きの列車が到着しました。これで江津へ向かう30kmにも及ぶの単線区間がようやく開き、13時45分に江津行きは発車します。ちなみにこの浜原行きの列車も待ち合わせがないにもかかわらず、15分ほど待機して14時に発車するというこれも不可解な運航でした。


再び江の川沿いをゆっくりと走りながら日本海を目指します。その速度は25キロ程、並走している自動車に何度抜かれたことか・・・


そして1時間後の14時49分、ようやく三江線の終点江津駅に到着しました。三次駅から5時間ほどの長旅・・・あの1時間半は何だったのでしょうか。

訪問後記


島根県の内陸にあるとある小さな町、川本町。1934年に港町江津を結ぶ列車がやってきてから、町は三江線とともに発展してきました。そして1975年に三江線は全通し、石見川本駅は広島へ向かうルートも出来上がります。


しかし人々はすでに三江線から離れていました。道路が整備された結果、島根県沿岸や広島へ向かう短いルートができてしまっていたのです。一方の三江線は江の川をたどるルート故線形が悪く速度を上げることができないため、陰陽ルートという本来の夢を果たすことができなかったのです。夢破れた三江線は地元の輸送に徹してきましたが、利用客の流出が止まらず列車の数も減り続けました。そして21世紀前に大ナタを振るうことになります。


それは、列車交換ができる施設を大幅に減らすこと・・・。100kmの長い路線を維持するため、列車を行き違うことができる駅を合理化のために減らすことにしたのです。その結果、江津から石見川本までの30kmは1つの列車しか入れなくなってしまったのです。写真は交換駅がなくなった駅の1つ、川戸駅です。桜江町の代表駅で江津からの地元客は、ほとんどここで降りるほどの大きな駅です。交換亡き今も左側に使われなくなったホームが残されていました。


こうして生まれたのが、ここ石見川本駅の強制下車を伴う1時間半の待機でした。それは速達化を捨て去り、三江線は陰陽ルートという役割が消えたことを意味していました。しかし強制下車を伴う運航は、同時に川本の町を散策するきっかけも生まれました。列車を降りると、川本の町を案内する人が大勢で迎えてくれた風景がそこにありました。


そして三江線は、2018年4月に全線廃止されました。85年近くも三江線の存在があった川本の町、その亡き後の今後はどうなっていくのでしょうか・・・。