【京成電鉄東成田駅】半世紀近く前の姿を残す旧空港ターミナル駅

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一見すると古い地下鉄のホームで乗客もいないこの駅、しかし開業当時は日本を代表する国際空港の中にある空港ターミナル駅でした。しかし13年ほどで空港駅としての役割を失い、駅名を変え時間を止めています。


その名前は京成電鉄「東成田」駅、しかし開業当初は「成田空港」駅として開港した新東京国際空港のターミナル駅でした。しかし新しい駅にその役割を譲り、今は空港内の駅でありながらも人もまばらで異質な雰囲気が漂う駅となっています。

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発展する成田空港駅、その陰で・・・


世界都市東京から日本国外への玄関口である成田国際空港。関東の人が海外へ、または海外の人が東京へ行く時に必ず利用する空港です。1978年に旧称「新東京国際空港」として開港して以来、進化は止まりません。


鉄道で空港へ行く場合、航空会社の違いで「成田空港」駅か「空港第2ビル」駅どちらかを利用します。写真は「成田空港」駅ですが、空港利用の顔とあって床はタイル張りで清潔で管理が行き届いております。さらに2010年には成田スカイアクセス線の開業により、駅も全面リニューアルされました。
しかしこの「成田空港」駅に空港駅としての役割を譲り、時流に取り残されてしまった駅が空港の中にあります。それが今回紹介する「東成田」駅です。

トンネルを抜けると・・・そこは異空間


その駅は空港第2ビル駅から無機質な通路を通ると、コンコースに出るのですが・・・


一言でいうと人が全くいない、暗くて怖い、そして無駄に広い。あの煌びやかな駅から5分ちょっと歩いただけで、行き先を間違えたというレベルでは済まないほどの異空間です。ここは後で調査することにして、まずはホームへ参ります!

時を止め、2つの駅名を持つホーム


これが時を止めた駅、「東成田」駅のホームです。「成田空港」駅と比べると雲泥の差・・・。高度経済成長期に建設されたような、コンクリート無機質な古い地下鉄を思わせる光景。この訪問時は平日夕方ラッシュ時間帯でしたが、ホームには誰一人も・・・。言い知れぬ孤独感を誘います。


東成田駅が旧・「成田空港」駅として開業したのは、空港開業と同じ1978年。空港駅としての役割を終えた時、2つのうちスカイライナーが発着していたホームは閉鎖されました。しかし閉鎖されたホームには、今なお「成田空港」駅の駅名標が掲げられています。この2つの駅名標を見てみます。



駅名どころか同じ鉄道会社とは思えないほど書式が違います。同じ駅のホームにもかかわらず、違う駅名が掲げられていることになります。さらに・・・


出口の看板も時代が違うと・・・。しかも奥には東武鉄道の「感動が加速する。」特急スペーシアの広告。いまや東京スカイツリーが収入源という時代なのに・・・時代錯誤が半端ありません。こんな広告が多数掲げられています。

前触れなく迫りくる轟音


まもなくすると乗客がホームに降りてきました。しだいに地下鉄特有の轟音が聞こえてきます。安全性の理由も含め、列車進入時は音声案内がどの駅にもあるはずですが・・・。どうやら音響機器が成田空港時代のままらしく、使っていないようです。


東成田駅は2002年に芝山鉄道線が開通し、ターミナル駅としての役割もなくなりました。この列車も次の終着駅「芝山千代田」に向けて、30秒程で発車していきます。なお芝山鉄道は京成に業務委託しているので、通常は乗務員交代しません。しかしこの列車は勤務時間の理由からか、写真のように車掌さんが交代していました。


京成電車独特の発車音(GTO.というのかな?)がホームに鳴り響く・・・。乗務を終えた車掌さんは一人、駅の安全確認を終えるとホームの上に消えていきました。再びホームには誰もいなくなり、いるはずもないウグイスの人工的な鳴き声だけ響く空間に戻ります。
「ほー・・・ホケキョ、」


次の電車はあと40分後まで来ません。上野行きが20分間隔で発車する現・「成田空港」駅と比べると・・・。空港の中と外とでの経済格差を実感できるそんな駅でもあります。ここにいても仕方ないので改札に戻ります。

かつての繁栄・・・


改札に戻るためのエスカレーターがホーム中ほどにありましたが、左側がベニヤでふさがれております・・・。一方右側には増設されたであろう人感センサー付きの昇り専用として動いておりました。大人の言葉で”合理化”というものです。


改札口はかつて広かった空間を仕切りを使って狭めています。駅員室も仮設のような構造です。なお芝山鉄道はICカード未対応、1区間でありながら芝山千代田へは切符を購入する必要があります。


コンコースに戻りますが、相変わらず誰もいない広い空間です。国際空港の中とは思えない静寂を、動画でご堪能あれ・・・。

残された壁画、そしてメッセージ


そんな人一人いない駅に似合わぬ巨大アート構造物が・・・、「曲水の宴」だそうです。右側に説明版があります。なになに・・・

この陶板レリーフは平安時代に貴族の間で流行した興雅な遊び「曲水の宴」を再現したものです。
日本画の精緻な美しさと現代の陶芸技術とが一体となり中世王朝の華麗な風俗を見事にうつし出し
躍動美あふれた日本の伝統文化を現代の空の表玄関、成田空港駅によみがえらせることができました。

1980年5月21日

「曲水の宴」というのは、人工河川沿いで短歌を読みあう貴族達の飲み会でしょうか・・・(雑な理解)。そして説明版の中に、ここが「成田空港」駅であるという記述が残されていました。結局このレリーフは新・「成田空港」駅には移設されることなく、ここで余生を送っています。

出口を探せ!


東成田駅の1つ目の出口は、地上駅舎への出入口となります。上にある色焼けした「日通航空」の広告も目につきます。空港駅時代はここから多くの人が出入りしていたことから、大きな幅の階段とエスカレーターが。


エスカレータの出口には、写真のような注意喚起があります。「後から上ってくる方」「混雑時の行列」「検問所」「お並び下さい」・・・どの言葉も多数の利用客がいるという前提なのですが・・・。


東成田駅の駅舎正面玄関です。扉の形状やガラスに張り付けられている古びたカラーテープが、昭和時代を思わせます。空港駅時代はここから有料バスに乗る、もしくは徒歩15分で成田空港に向かっていました。しかし現在ここから発着する公共交通機関はありません。正面玄関なのに行き止まり・・・やむなく駅に戻ります。


実はもう1つの出入口があり、第5ゲートと呼ばれるところに向かいます。実は写真右に第4ゲートもありましたが、現在は仕切りが建てられて閉鎖されています。


小さな正方形のタイルが規則的に敷き詰められた床、変色はおろか無数にひび割れて錆びが浮いたコンクリート壁、世の中でここまで殺風景な通路があるものかと・・・、冷静保ちつつ出入り口へ向かいます。もはや色彩があるのは駅名版だけです。


高い金網フェンスでかこまれたこの建物が駅入口の第5ゲートです。まるでベルリンの壁にあった国境警備隊の監視部屋のような風貌をしています。成田空港は開港前から地元農家との土地収用から端を発した「成田闘争」問題を抱えていました。そのためこのような検問施設が空港入口ごとに作られてきました。しかし近年この問題も収束し、2015年から検問が廃止されたそうです。
この第5ゲートから各空港ターミナルを結ぶ無料バスが、7分間隔で出ています。鉄道より便利です。

訪問後記

問題を多く抱えたまま開港した成田空港と同時に誕生したこの駅は、順調な船出とはいえないまでも13年間空港駅としての役割を奪われるまで空港利用客を海外から迎え、そして見送ってきました。
多くの人々を迎え入れた広い空間と装飾、無機質なコンクリート作りのホーム・・・、日本の地下鉄駅が改装によって次々と煌びやかな姿に生まれ変わっていく一方で、この駅は1978年開業当時のままの姿で時を止めました。成田空港開港当時の姿というところから、もはや鉄道マニアのみならず空港や廃墟・建築マニアの人たちにもおすすめでしょう。しかし・・・


写真は成田空港近く航空博物館にあった空港全体の模型図です。今成田空港は闘争収束による検問廃止や第3ターミナルの開業、さらに新しい滑走路の計画など、開港以来大きな動きを見せています。そしてこの「東成田」駅も今後そうした開発の波に飲み込まれてしまうかもしれません。


最後に新旧「成田空港」駅の写真を並べてみます。わずか10分歩いてこの異空間・・・、まさに海外旅行前のカルチャーショックです。このギャップを体験したい方は、成田空港利用の際に訪問してみてはいかがでしょうか?

それではまた、次回も不思議な鉄道風景でお会いしましょう。