このような写真を見ると、一昔前の日本人が憧れた未来都市の鉄道風景にも見えます。しかし賑やかに行き交う列車とは裏腹に、この駅の町は異様に静まり返っていました。
豊洲市場に隣接する、ゆりかもめ市場前駅。手狭かつ老朽化した築地市場から移転するため、ここ豊洲に新しい市場が建設されました。しかし理あらず問題が次々と発生・・・、開場するまで、長らく人一人いない空間になっていました。
なお豊洲市場は、2018年10月に開場しました。この記事は開場する1年前、2017年7月に訪問したものです。
築地市場という時代異空間、その中には廃線跡が・・・
日本および世界最大の東京都中央卸売市場、築地市場。品物が勇ましい競りの掛け声でどんどん落札されていく光景は、いまや外国人の方が訪問したい場所になっています。
築地の土地は江戸時代、松平定信によって整備された庭園「浴恩園」が始まりです。明治には海軍用地として使われましたが、関東大震災後に日本橋にあった魚市場がここに移転したことが築地市場の始まりです。その後の経済成長によって、築地市場は日本を代表する一大市場として今に至っています。
この写真は築地市場の地図ですが、当初の魚市場こと水産物部のほかにも青果部も併設された大変大きな規模になっています。特に水産物部が大きな弧を描いていますが、これは1984年まで鮮魚列車を運ぶための貨物駅である東京市場駅が存在し、そのホームの名残です。なおホーム跡は弧を描く建物の一番外側にありますが、市場関係者以外は立ち入り禁止でした。
ちなみにこちらが築地市場内部です。一般的に市場の風景といえば、業者さんの力仕事や競りが行われている光景をイメージすると思います。しかし市場を広く俯瞰する形で見てみると、年季が入った錆びた建物の背後には高層ビルが建っているという不思議な空間でした。それはまるで市場の敷地内が昭和の高度経済成長期そのままで、平成も終わりを迎える外の世界とは隔絶されているという光景でした。
そんな築地市場も、老朽化による限界が迫っていました。そこで市場を豊洲に移転する計画が立ち上がります。その引っ越し先である豊洲市場へ・・・いざ出発進行!
臨海ニュータウンからこんにちは、ゆりかもめ
築地市場から都営バス一本で行ける東京都江東区にある豊洲、東京湾に面した臨界地区として長年工場地帯として知られていました。しかし近年の再開発によって、大規模商業施設やニュータウンが次々に生まれています。そんな臨海地区のニュータウンに、ひときわ高い所を通る鉄道があります。
その名も東京臨海新交通臨海線、愛称として「ゆりかもめ」が一般的に知られています。通常の鉄道とは異なり、ゴムタイヤの専用軌道で運転する新交通システムと呼ばれる方式で運行されています。ここ豊洲駅から有明やお台場、レインボーブリッジを経由して新橋駅を通るルートです。もともと1996年にお台場で開催予定であった、世界都市博覧会のアクセス路線として開業した経緯があります。
ちなみにゆりかもめは無人運転となっており、運転手や車掌は乗務していません。そのため収納されている運転台の席は、前面展望として自由に座れます。取り合い必至なので、始発駅である新橋駅あるいはここ豊洲駅から乗車すれば確実です。
豊洲駅の終端です。ゆりかもめは、今後勝鬨橋まで伸ばす計画があるようです。そのため軌道が若干左へ向いた状態で途切れています。また豊洲の町は左側に高層ビル、右側は1世代前の低層ビルが立ち並んでいます。豊洲を含めた臨海地区では、このような新旧時代が混ざり合った不思議空間が珍しくありません。
閉ざされていた出入口、その行先は・・・
豊洲市場は2018年10月に開場しました。ここから先は、2017年に訪問した開場前の様子です。
豊洲駅から2駅目、市場前駅に到着しました。2005年に開業したこの駅は、豊洲市場の予定地として開業当初から「市場前」という駅名です。早速目に飛び込んでくるのが、この大きな建物です。まちがいなく市場関係の建物です。
しかし改札を抜けた真正面の出口は、シャッターで閉ざされていました。上部に掲げられた出口案内や点字ブロックも設置がされていましたが、すべてカバーで覆われていていました。なお現在の出口は、地上の道路沿いへ降りる出口しかありません。
これは市場前駅の周辺地図です。市場前駅の右側の交差点の周りは、黄色のラインで示された歩行者用デッキが取り囲んでいます。市場前駅から歩行者用デッキを通ることで、道路へ降りることなく各豊洲市場の建物へ直行できるルートとなっています。
駅を降りてみて道路側の出口部分を見てみます。写真で見ても市場行きの通路自体は完成しており、途中には道路からアクセスすることもできる構造となっています。しかし豊洲市場の開場が遅れ、デッキは現在も封鎖状態のままとなっていました。
未完成なる町、開場前の市場
さてホームでも見えたこの大きな建物、一面白い外壁が輝いており造られてからまだ真新しい様です。アスファルトも黒々としており、使われた形跡がありませんでした。入口には警備員が立っており、完全に建物全体が統制されていました。
これが豊洲市場の青果棟です。建物はすべて車止めで取り囲まれた状態であり。正門前は警備の人が立っていました。時間のせいかもしれませんが、車どころか人1人この建物に行き交うことはありませんでした。
続いてはこちらの建物、水産仲卸売場棟です。こちらは警備員が配置されておらず、正門入口もろとも封鎖されていました。信号もカバーが破けており、本来動き始めるはずだった時期からかなり長い時間がたっているようでした。
水産仲卸売場棟の建物を道路から見てみると、トラック輸送のためのスロープを備えた構造をしていることがわかります。道路の方もサイクリングの人や数台の車が行きかうだけで、土曜日にもかかわらず工事らしき音がむなしく響いていたことを覚えています。
そして水産仲卸売場棟の反対側にあるこちらの建物、まず右側が冷蔵庫棟です。報道によれば、一度動かしてしまった冷蔵庫を止めることができないため、中身がない冷蔵庫の電気代が・・・。
そしてホームの橋でも見えたこの建物、これが管理棟です。建物の上部は4文字と思わしき看板にカバーがかけられていますが、間違いなく「豊洲市場」と書かれていることは言うまでもないでしょう。
壮大なる空き地、それはまさに「踊る」世界・・・
市場前駅の交差点です。直進方向は豊洲駅、右方向は有明へ向かいます。しかし未完成の町ながら、御覧のように行先案内が真っ青です。いったいどこへ向かわせる気なのでしょうか・・・ちなみに左方向は晴海へ向かう豊洲大橋ですが、2017年当時は建設中でした。
市場前駅を挟んで豊洲市場青果棟の反対側は、広大な空き地が広がっていました。「空き地署」ならぬ、「空き地場」でしょうか・・・。海側には豊洲運河を跨ぐ豊洲大橋が建設中で、それを越えると晴海埠頭に建てられた高層マンション群です。その晴海ふ頭を越えた先に、移転下である築地市場がありました。
訪問後記、そして今後・・・
豊洲市場に最寄り駅となる市場前駅は、ゆりかもめ線はおろか東京23区の中で一番乗降客数が低いという不名誉な称号が最近まであり、1日2桁が利用すればましという状態が続いていました。この写真を見てみればわかる通り、左は開場未定の市場、右側は広がる空き地というように、人が使う要素が0の孤立した空間でした。
そしてこの空き地風景・・・この風景を見て踊る大走査線、「Love Somebody」の鼻歌が止まらなくなりました。世界博が中止直後にゆりかもめが開業した時の2000年以前お台場も、遊ぶところはフジテレビ・船の科学館・テレコムセンター・東京ファッションビル位であり、それ以外は海と空き地が広がった殺風景な場所でした。それから20年でお台場は一大観光名所として発展しましたが、ここ市場前駅周辺はその当時のお台場の風景を繰り返しているように見えるのは私だけなのでしょうか・・・。
今回市場前駅を訪問後・・・2018年10月11日に市場が移転する報道がありました。このような未完成なる風景も過去のものになりました。これからは市場前駅の周辺も、お台場の後を追うように発展をしていくことでしょう。
そして築地市場は2018年10月6日、83年もの歴史に終わりを告げました。築地地区は今後どうなるのでしょうか・・・新旧2つの町でめぐる思いは、いまも尽きぬまま・・・。