【韓国DMZツアー1:京義線臨津江駅】戦争で国ごと分断された鉄道路線

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中国大陸への物資輸送を担った京義線は、かつて朝鮮半島において重要な鉄道路線でした。しかし戦争で2つの国に引き裂かれてしまい、線路は途切れて今に至っています。


朝鮮半島は第2次世界大戦後、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国というに2つの国に分断されました。韓国には南側の軍事境界線付近(非武装地帯)を巡るDMZツアーと呼ばれる特殊なツアーがあります。このツアーには国と同じくして分断されてしまった京義線の臨津江駅・都羅山駅もコースの中に含まれています。今回紹介する臨津江駅は、韓国側の終点都羅山駅のひとつ前にある駅です。この駅は民間人統制区域内のすぐ手前にあり、民間人が訪問できる最果ての駅でもあります。

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中国へ向かう始発駅・・・だった首都ソウル駅


韓国の首都ソウルの中心駅「ソウル駅」・・・京義線の始発駅です。京義は「キョンウィ」と呼び、「京」はソウル、「義」は新義州のことです。


そしてソウル駅の右側には、東京駅舎そっくりの建物が・・・。これはかつて朝鮮半島が日本に統治されていた頃に建てられた旧駅舎です。現在は観光案内所や美術館として利用されています。日本統治時代において京義線は、中国大陸を結ぶ幹線でした。しかし現在「新義州」まで向かう列車はなく、韓国国内の「汶山」までしか行きません。そのため現在の京義線はソウルへの通勤路線としての色合いが強いです。

制限区域への道・・・方法は2つのみ

京義線の末端区間へ行くためには、事前に許可を取った人しか行けません。そのため以下2つの方法で行くことになります。
まず一つ目・・・DMZ-Trainと呼ばれる京義線を走る観光列車に乗る方法です。2017年当時は京義線の終点都羅山駅まで向かうただ1つの列車でした。

もう一つは・・・軍事境界線に向かう専用のバスツアーに申し込む方法です。

ちなみに私はバスツアーを選びました。鉄道旅としては邪道とも言われてしまうかもしれませんが、バスの方が有名な箇所をめぐる数が多いというのが最大の理由です。
ところで現在朝鮮半島には北側と南側2つの国があることを抑えておいてください。

  • 北:朝鮮民主主義人民共和国 (北朝鮮, DPRK, 北韓, …)
  • 南:大韓民国 (韓国, ROK, 南朝鮮, …)

カッコ内のようにいろいろな呼び方はありますが、これ以降は公平性のため、北側・南側といたします。
例:今回私は南側の京義線に訪問しました・・・という感じです。

 ソウルから1時間・・・鉄条網の向こうには・・・


さてバスツアーは、ソウルのホテルから発車します。まず国道77号線に乗って、漢江の流れに沿って北上します。川の向こう側は、金浦空港周辺の住宅団地が見えます。ちなみにこの77号線の道路も、境界線手前で暫定的に終点となっている道路です。今通行料金は無料ですが、統一して延伸した暁には有料化するとか・・・。


しかし漢江と臨津江が合流する地点を過ぎると、突然景色が一変します。無機質な鉄条網と監視小屋、そして川の向こうに見える禿山・・・。実は臨津江の間には、南北を分ける境界線が敷かれています。つまり川の向こうはもう既に北側の世界なのです。ソウルから1時間で40Kmほどしか離れていない場所ですが、この川を越えるだけ違う国になります。
ガイド曰く禿山である理由は・・・

  • 暖房の燃料に木を使うため
  • 国境監視で見やすくするため

しかし大雨の度に洪水が発生しやすくなったとのことです。


途中のサービスエリアで見つけた周辺地図です。ここで境界線部分を拡大してみます。


中央を流れる川が臨津江です。これから向かうのは「Imjingak Tourist Resort」、つまり「臨津閣」です。そして今回の主役である「京義線」の「臨津江」駅もそこを通っています。また地図の中には他にも・・・「第三トンネル」「都羅山展望台」「デソンドン村(自由の村)」「板門店」、そして「開城工業団地」・・・ニュースでもよく見る地名や名所が書かれています。

大動脈は夢の跡・・・


京義線の臨津江駅です。「イムジンガン」と読みます。そんな題名の歌も昔流行しました。かつては訪問客が非武装地帯へ行くための手続きを行う重要な駅でしたが、DMZ-Trainの1往復しか通らなくなった2017年現在は閑散としています。


臨津江駅のそばには・・・地図にもあった「臨津閣」と呼ばれる展望台があります。ここは臨津江の向こうにある民間人統制区域の景色を見ることができます。


まず展望台から臨津江駅の駅前通りを見てみます。写真右側の陸橋下に駅があります。左側に少し時代遅れ風な遊園地があるのも目立ちますが・・・写真右側の駅前通りに保存された蒸気機関車があります。かつてここが交通の要所であった事を伺わせます。


では反対の非武装地帯方向の風景を見てみます。臨津江向こう岸は民間人統制区域で、民間人は許可なく入れません。非武装地帯はこの区域からさらに北へ進んだところにあります。写真左側は非武装地帯へ向かう鉄橋、右側は橋脚だけが残された遺構があります。かつて京義線が複線であった事を示していました。橋脚しか残らなくなってから、かなりの年月が経っているようです。

鉄路は走りたい・・・


橋脚だけが残された箇所に行ってみると、錆びた線路がありました。かつての京義線の複線跡を再現したモニュメントです。ご丁寧に「じょうききかんしゃ」という日本語も・・・。


線路跡をたどっていくと、分岐点が・・・同時に道も2つに分かれます。まっすぐ行くと古びた機関車とホーム、左へ行くと鉄橋へむかう通路となります。


ホームを模した建造物とボロボロにさびた機関車がありました。機関車は銃弾の跡があり、二度と動くことはなくここにたたずんでいます。かつて軍事境界線内に取り残された廃駅、「長湍駅(チャンダンえき)」に野ざらしにされていました。


駅名標がありました。隣の駅はソウルと開城でした。ここは日本統治時代の臨津江駅の跡地でしょうか・・・。詳しいことはわかりません。いずれにしてもかつてここに鉄道が通っていたことを物語るものです。

自由万歳!再び鉄道が走る橋・・・


さて途中の案内板にて「自由の橋」の説明がありました。写真のように朝鮮戦争で鉄橋は完全に破壊されてしまいます。無論京義線はそのまま・・・。橋は北側から捕虜が南側に入境するためのルートに再建、捕虜は「自由万歳!」と叫びました。その後鉄橋は非武装地帯へ向かう自動車道路として使われてきました。


そして今の自由の橋の風景です。2000年代から京義線の北側へ向かうルート再び開通し、実に半世紀ぶりに鉄道橋として再びよみがえります。ちなみに捕虜が通行した自由の橋を結ぶ通路は今も残されています。


捕虜が通行した通路は役割を終えて、末端は鉄条網によって閉鎖されました。民間人は、川を越えた先の統制区域へは許可なく行くことは許されません。ここは南側の人が自由に往来できる最果ての場所でもあるのです。通路の終点には平和と統一を願うメッセージが・・・・

訪問後記

韓国DMZツアーとして、今回は京義線の臨津江駅を紹介しました。当初私はローカル線の鄙びた田舎のイメージで・・・かなりのほほんとした風景を勝手に想像していました。
しかし・・・

やはり途切れた経緯から、一触即発ともいえる状況の中でした。そもそも鉄道が閑散とする理由は

  • 新幹線などの新ルートが開通し、旧ルートの必要性が低下する
  • 沿線の人口減少によって合理化または廃止となる
  • 災害によって不通状態となる

というような場合がほとんどでしょう。少なくとも日本では・・・。しかしここは戦争と国の分断という違う次元での話です。思想の違いによって、同じ民族で争い遭うという悲劇の現場でもあるのです。かくして鉄道はおろか人々の流れも断ち切られたまま、今に至っています。ふたたび南北の人々が出合い、京義線が再び鉄道の大動脈となる日は来るのでしょうか・・・。

DMZツアーについて

最後にDMZツアーは注意していただきたい事柄があります。その理由としましては、

  • DMZツアー自体、朝鮮半島の南北国家分断によって成り立っているツアーであること
  • 突発的な事件により、ツアー自体が中止になることが・・・

南北が統一されることが本望ではありますが、それはこのツアーや緊迫した状況自体が消滅することを意味します。複雑な気持ちではありますが、今こそ幸福と平和そして未来を考えなければならない時なのかもしれません。今後もDMZツアーで体験した情報を伝えていきます。
最後に臨津江にあった「望郷の歌」の碑をよみつつ・・・

失われた30年 ソル・ウンド
(前略)
明日か明後日かと待ち続け、涙に明暮れて30年
おとうさま・・・おかあさま・・・どこにいらっしゃるの?