同じ駅の2つの駅舎が並び合うという状況、それは100年もの歴史を超えて再び「駅の顔」としての役割を10年後に待ち続ける光景…
南海本線浜寺公園駅は、浜寺公園のアクセス駅として長年親しまれており、公園側2つの駅舎と反対側の1つの駅舎という計3つの駅舎を持っています。また南海電車の子会社である阪堺電気軌道浜寺駅前もあり、路面電車の終着駅としての駅舎も備えています。そのため同じ鉄道会社で事実上4つもの駅舎が一帯に存在する状態になっています。
さらに浜寺公園駅の駅舎の内の1つは、100年前に建立された日本の私鉄の中で最も古い駅舎です。優れた洋風建築物として、国の登録有形文化財に指定されています。
日本最古の公立公園、羽衣伝説の地にて・・・
大阪府が運営する、浜寺公園。主に大阪府民の憩いの場所として整備されている公立公園です。浜寺公園は1873年に開園しており、日本で最も古い公立公園です。
浜寺公園は浜寺水路に面しており、堺市および高石市にまたがる広い一帯を有しています。特に高石市側では「羽衣公園」という名で呼ばれており、羽衣伝説の地の1つではないかとされています。そのため浜寺公園及びその一帯は、その由来とされる松林が多く林立しています。浜寺公園の存在は、憩いの場所であると同時に松林を開発から守る重要な保護領域としての役割を果たしています。
そして浜寺公園の園内でも注目の施設は、公園内を周回する子供汽車です。写真に写っているSL「浪花号」は、浪花蒸気機関車をモデルにしたディーゼルカーです。本格的な造りで移動目的でもかなり重宝しますので、立ち寄った際は乗る価値ありです。
交通公園前には、3つの駅舎が一同に・・・
そんな浜寺公園の中には松林や楽しい遊び場がいっぱいでしたが、浜寺公園の目の前も何とも嬉しい光景が・・・。右側には路面電車が停車しており、左側道路奥には赤い屋根の年季ある建物があります。一つ一つ紹介していきましょう。
まずはこちらの建物、THE日本家屋の駅舎に程よい年季が入ったホーロー看板が輝く・・・阪堺電気鉄道の浜寺駅前駅です。阪堺電気鉄道は、南海電車子会社の路面電車であり、天王寺および恵美須町から終点浜寺駅前まで運航しています。
浜寺駅前のホームは1つだけですが、日中は12分毎に出発するという少しせわしない駅でもあります。天王寺駅へは50分かかるものの全線一律210円であるため、堺と大阪を結ぶ地元路線として欠かせない存在です。
続いて道路奥にあるこちらの2つの建物・・・実は両方とも南海本線の浜寺公園駅の駅舎です。駅舎が2つある理由は後で述べますが、同じ駅とは思えない位大きく風貌が異なっております。
ちなみに訪問当時、左側の建物が浜寺公園駅の入口でした。駅舎は駅業務や改札だけではなく、鉄道を利用しない人も地下通路で線路反対側へ連絡できる構造を備えていました。
日本最古の公立公園の最寄り駅は、私鉄最古の駅舎が・・・
さて紹介が遅れましたがもう一方の歴史ありげな建物、浜寺公園駅で1907年から2016年という110年にわたって使用され続けてきた名駅舎です。現在は修繕や移設を経たのち、昼間だけ営業する喫茶店とギャラリーとして使われています。
駅舎の中はこのような感じです。少々手狭ではありますが、駅舎が描かれた絵や写真および駅舎についての説明が展示されていました。
浜寺公園の駅舎についての説明がありました。そのまま記事に起こしてみます。
浜寺公園駅 駅舎
浜寺公園駅は、明治40年(1907年)我が国近代建築の元勲といわれた、東京帝国大学工科大学学長 辰野金吾、片岡安博士が所属した辰野・片岡建築事務所の設計によって建てられた木造洋風建築物である。
屋根の正面に見えるドーマー窓(屋根窓)や柱の骨組みを外部に現し、装飾模様として生かしたハーフティンバー様式や、とっくり型の玄関柱が特徴である。
私鉄最古級の歴史ある明治の駅として地元をはじめ多くの人々から親しまれ日本建築学会など学術的にも高く評価されている。
平成10年に国の登録有形文化財に登録された。
辰野金吾氏といえば東京駅を設計した建築家としても有名ですが、その源流ともいえるのが、この浜寺公園駅の駅舎だったということでしょう。
今だけの地上風景、古き良き待合室と最後4つ目の駅舎・・・
さて浜寺公園駅のホームです。朝のラッシュの時間帯だけ使われる待避線があります。関西空港を結ぶ特急ラピートが猛スピード通過していきました。
私鉄最古の駅舎だけでも十分堪能できる浜寺公園駅ですが、下り和歌山方面ホームの上にも一見の価値ある建築物があります。それがこちらの待合室です。待合室自体は何気なくたたずんでいるようですが、外観だけでも時代を間違えてしまったかのような存在感を放っています。
待合室の内部はこのような感じです。コストカット重視たる現代にはありえないシンプルでありながらレトロ感あふれる室内です。
そして構内踏切を渡った公園の反対側の出口、こちらが4つ目の駅舎です。公園側に大きな駅舎がある同じ駅とは思えないほどの小さな駅舎で、改札が2つだけですぐに構内踏切というシンプルな造りです。
100年の時を経て高架化へ・・・
2つの駅舎で乗客を浜寺公園へ送り出してくれる浜寺公園駅、実はこの光景は今後10年程しか見られない貴重なでもです。
ここまでの話で気付いている方もいると思いますが、実は南海本線は2028年まで諏訪ノ森から羽衣駅間で高架化工事が行われています。その真ん中に位置する浜寺公園駅も、列車の待ち合わせが常に可能な高架駅に生まれ変わる予定になっています。
100年にもわたって使われてきたこの駅舎も、高架化工事に伴って2016年に第一線から退くことになりました。現在は修繕や移設を経てギャラリーや喫茶店と一見隠居生活を送ってはいますが、高架化工事後は再び駅の入口として使用されることが決まっています。
一方現在稼働している左側の駅舎は仮設であり、反対側の駅舎を含めて高架化工事が終わるまで存在し続けます。そして高架化後に仮設駅舎は役割を終え、2つの駅舎が並んだ風景は消えることになります。それは3つあった駅舎が、実質1つだけになることを意味します。
そしてこの地上駅の風景も、まもなく高架化工事によって見られなくなります。ホーム上にあったこのレトロな待合室については、今後の処遇についての情報は今のところありません。
最後にそんな待合室から見た南海電車を写真に撮ってみました。時代を感じさせる古い窓ガラスは、その不思議な造りによって列車を二重に写しています。明治の時代から100年もの間、この窓は南海列車をいつもと変りなく迎え続けてきました。この日も乗客を迎えにやってくるいつもと変わらない穏やかな日でした。こんな風景が、今後いつまで見られるのでしょうか…