ここは札幌から1時間余りのとある駅、1日3回だけ2つの列車が出会う時がある。2つの列車がこの駅で出会う時、1列車しか入ることを許されない果ての終点への旅路に幕が開く・・・
札沼線石狩月形駅、札沼線は別名学園都市線と呼ばれる、札幌への通勤路線です。しかし通勤路線区間から切り離されたこの駅は、札幌駅から1時間ほどでたどり着けるローカル線の列車交換駅でした。
なお学園都市線、札沼線の北海道医療大学から新十津川までの区間は、2020年4月17日に運航終了されることになりました。1日1本でありながらも運航を続けてきたその姿は、もう見ることができない風景になりました。
札幌の通勤線、学園都市線、その本当の名は?
北海道の代表駅、札幌駅。北海道全土の交通網の中核を担っており、2030年には東京から1本でつながる北海道新幹線も開通する予定となっています。
札幌駅は函館と旭川を結ぶ函館本線の途中駅ですが、学園都市線および千歳線の列車、そして多くの特急列車の発着を担っています。今回紹介する学園都市線は札幌からあいの里教育大、石狩当別、北海道医療大学を経由して、終点新十津川までを結ぶ通勤路線です。
学園都市線は先ほどの路線図を見ると、新十津川まで向かう路線のように見えます。しかし札幌から出発する学園都市線の列車は、遠くても石狩当別または北海道医療大学までしか向かいません。ここはひとまず6時39分発の石狩当別行きの列車に乗ります。
ホームに上がるとすでに石狩当別行きの電車が待っていました。JR発足から札幌近郊で長年使用されている721系通勤列車です。ちなみにこの6時39分発石狩当別行きは、学園都市線で2番目に早い列車でした。
札幌駅を発車すると、ご覧のように電化・複線・そして高架区間が続きます。学園都市線は正式名称「札沼線(さっしょうせん)」と呼ばれるローカル線でしたが、JR発足後は札幌方面の通勤路線としての役割を果たしていくようになります。
40分後の7時18分、列車は石狩当別駅で終着となります。この先の区間は1駅先の北海道医療大学を除き、電車が入ることができない非電化区間となります。そのため3番線にいる新十津川駅行き1両編成の気動車に乗り換えます。
札幌の通勤路線から1日数本だけのローカル線の旅・・・
7時45分発新十津川行きのキハ40系列車です。主に北海道のローカル線で多く使われている気動車であり、1両編成で運行することもできます。同じ路線でありながら、ここ石狩当別を境に列車や乗客が激減するのです。
石狩当別を出発すると、いままで住宅地だった風景から一変します。歪んで見える1本の線路を頼りに森をかき分けてひたすら進んでいくような、北海道でよく見るようなローカル線の風景に様変わりします。
石狩当別を出発して30分後の8時17分、今回紹介する石狩月形駅にたどり着きます。石狩月形から先は終点の新十津川まで1本の列車しか入ることができないため、行き違いができる設備を唯一持つこの駅で新十津川方面から来る列車を待つことになります。
できるかな?20分間の駅周辺散策
石狩月形駅は月形町の中心部に位置していました。近くには月形温泉ゆりかご、そして月形樺戸博物館があります。中でも月形樺戸博物館は元々集治監と呼ばれる刑務所施設を使っており、月形町という名前も初代所長の月形潔氏が由来です。
こちらが石狩月形駅の駅舎です。青い屋根に二重窓が備わった、国鉄時代の北海道ではかなり多くみられたスタイルの駅舎です。
駅舎の中はこのような感じです。真ん中に配管付きのストーブが設置された北海道あるある風景でした。また列車交換を伴うため、非電化区間において唯一の有人駅でした。
石狩月形駅の時刻表です。石狩当別方面の列車が7本、新十津川方面の列車が6本しかない状態でした。しかも新十津川方面の6本のうち5本は途中の浦臼止まりであり、終点の新十津川行きまで向かう列車は8時40分の1本しかありませんでした。
石狩月形駅の行き先案内です。1日6・7本の列車故か、ご覧のようなプラスチック版で十分です。実際一番右にある「新十津川行」「浦臼行」を1日1セットひっくり返すだけで仕事は済むのですから・・・
石狩月形駅の駅前通りは、このような住宅や商店が立ち並ぶ風景です。ここから岩見沢へ向かうバスも発着しているうえ、このまま真っすぐ進むだけでも函館本線の峰延駅に行くことができます。
待ち続けた20分後の出会い、線路はなお続くよ・・・
8時34分、ようやく新十津川方面からの列車がやってきました。待ち時間がないように列車の時間を調整してほしいという意見も出そうですが、月形町のプチ散歩ができるうれしい特典もあった故、ここは許しましょう。
待機中の新十津川行きの列車、そして到着した石狩当別行きの列車です。晩年の札沼線の非電化区間はこの2本の列車だけが往復する運航となっており、1日3回この石狩月形駅で列車交換を行っていました。
新十津川方面から来た列車からタブレット(スタフ)と呼ばれる道具を受け取った駅員です。石狩月形から終点の新十津川までの区間は、このタブレットを受け取らないと線路を踏むことを許されません。
20分以上も待たされた新十津川行きの列車は、無事タブレットを受け取りました。そして8時40分、新十津川へ向かって発車していきました。この先の風景や新十津川については以下のページでお話ししましょう。
訪問後記
これは終点新十津川駅にあった、北海道の国鉄路線図です。現在のJR北海道の路線図よりも数多くの路線がありました。1935年に全線開通した札沼線も札幌、そして留萌本線にある石狩沼田を結ぶローカル線の1つでした。
しかし札沼線は北海道一番の幹線でもある函館本線と石狩川を挟んで並走しているという大きな欠点を抱えていました。交通の便が良かった函館本線に乗客を取られたため、新十津川駅から石狩沼田駅の区間は1972年に廃止されてしまいます。石狩沼田へ行かない札沼線という名前は意味を失い、JR発足後は札幌方面への通勤路線の転換によって「学園都市線」という愛称が与えられます。そもそも殺傷、ではなく札沼線の「さっしょう」という名前の悪さも・・・
そんな石狩月形駅は、札沼線開業時代からの風景を色濃く残す列車交換駅として残った唯一の駅でした。写真は列車交換の際に使われるタブレットをかける柱であり、列車数が多かった当時は多用されていたことでしょう。
しかし石狩当別から終点新十津川の区間の乗客数は、減少の一途でした。写真の乗り場案内には札幌方面と書かれていますが、現在は途中の石狩当別で乗り換えなければなりません。2012年に通勤客が多い区間を電化したことは、乗客数が少ない非電化区間を切り離すことも意味していたからです。
事実上孤立した札沼線の非電化区間は、この2本の列車によって細々と運航を続けてきました。しかし乗客数の減少は止めることができず、ついに1日1本しか走らない区間も出る有様でした。そして石狩月形駅を含む北海道医療大学駅から新十津川駅の区間は、2020年5月7日に廃止される予定となっておりました。
しかし2020年初めから新型コロナウイルスの世界的な蔓延が発生、告知されていた最終日5月7日の運航では多くの見送り客による集団感染の恐れがあるとの判断が下されてしまいます。JR北海道は4月16日の夜に突然翌日の列車を最終列車にすることを発表、4月17日に最終列車が運行されるという異例の終末を迎え、85年にも及ぶ歴史に幕を閉じました。